クライン孝子  お知らせ



新年明けましておめでとうございます。

皆様、良いお年をお迎えになられたことと存じ上げます。

私の方は、今年からいよいよ「ユーロ」のお札とコインが「ユーロ」加盟国12カ国の間で登場するというので、その「ユーロ」金庫番の拠点でフランクフルトにあって、あちらこちら駈けずり回っておりました。

とりわけ12月31日は、フランクフルトに限らず、「ユーロ」加盟国の主要都市では、色とりどりの行事が催されたようですね。
ここフランクフルトでは、当日、欧州中央銀行主催の記念式典が午前と夕方に分かれて、行われ、とりもなおさず出席しました。午前中は10時半きっかり、先ずドイゼンベルグ総裁の記念講演から火ぶたが切られました。 

ドイゼンベルグ総裁は、その席上「欧州の夢だった単一通貨が3億人の手にわたることになります。ユーロのお札に描かれた『窓』は世界に開かれ、『橋』は欧州各地が仲良く手をつなぐことを示している。新しい時代の始まりといっていい。ここまでにくるには、道は険しく、いろいろと困難なことがあった。しかし加盟国がみな一致団結して協力的に事に当たったこと今回の『ユーロ』導入の原動力になり実を結んだ.感謝している」と語っていました。

その後簡単なショーがありました。 「ユーロ」導入では「ユーロ」についての感想文コンクールを行い、その「ユーロ」賞を獲得した「ユーロ」加盟国12カ国(各国2人ずつ、合計24人)の子供たちが、ドイゼンベルグ総裁から一人ずつ激励の言葉を掛けられ、新しい「ユーロ」のお札を受け取りました。(式典が終わったあと、私も、小箱に入った50ユーロ=5000円を頂きました)。最後はジャーナリストとの質疑応答があり、中には子ども達からも質問が出て、頼もしいというか、活気づきました。

「ユーロ」賞を獲得した「ユーロ」加盟国12カ国の子供たち



さて、夕方のレセプションは、欧州中央銀行のホールで行われました。こちらは、昼間と異なり、ごく内輪で、親しいジャーナリストと飲み食いしながら歓談するというものです。ここでも「ユーロ」流通スタート1時間前に、いち早く100マルクだけ両替を許されました。欧州中央銀行スタンプ入りのプラスチックの袋に入っているので、記念にとっておこうと思います。
その後、欧州中央銀行広場に出て(寒かったなあ)、シャンペンで乾杯しながら、2002年1月1日きっかり、「ユーロ」出現を祝いました。
近くの銀行では、さっそく窓口で、「ユーロ」を手に入れようとする人たちが行列を作っていました。

というわけで、こうして歴史的な行事に参加できた私です。その心たるやるんるん、ハッピーでありました。

この欧州における「ユーロ」導入ですけれど、いろんな見方がありますが、その最大の動機とは、第二次世界大戦後、欧州人が内心小バカにしていた成金国アメリカと野蛮国ロシアによって、ヨーロッパが東西に分断され、一方はアメリカにそしてもう一方はソ連の傘下に組みこまれた、このことが一番こたえたのだと思います。この屈辱を何とか払拭したい! というので先ず、犬猿の仲にあったドイツとフランスが手を握って、欧州一体化への道を探ってきた。その間約半世紀もの時間を費やしています。戦争に明け暮れた挙句のヨーロッパのギリギリの選択だったといっていいのかもしれません。

一方アジアは今世紀に入って、混沌としています。印パはもちろんのこと、日中韓でさえもギクシャクしています。このことがアジアにとって、どれだけマイナスになっているか。逆にヨーロッパやアメリカにすれば、アジアがお互いにけんかしてくれれば、それほどあり難いことはないからです。残念なのは経済大国である日本が、そのことになかなか気ずかない、気ずいていてもイニシアテイブを取って、リードできない。日本はもっと、大局的な視点に立って、アジアの国を眺め、アジアの平和に貢献して行くべきではないでしょうか。
ヨーロッパの今回の「ユーロ」導入はその観点から見ても、アジアにとっていいお手本になると思うのですが。

さて、そこで、「ユーロ」が誕生した21世紀はいったいどう展開するものやら、今後もこのヨーロッパ、とりわけドイツ、そしてフランクフルトの地点からこの展開をとくと観察していこうと思っております。


どうか今後ともよろしくお願いいたします。

2002年 1月5日

クライン孝子

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