クライン孝子  お知らせ



皆様、お元気でいらっしゃいましょうか。
私はビンポーひまなしというところです。

今回は、このところずっと足が遠のいていた欧州中央銀行の記者会見に出席したお話を書いてみようと思います。

いよいよ二〇〇二年一月一日、つまりあと三カ月後に、ヨーロッパで出回るユーロという通貨、そのお札を欧州中央銀行のドイゼンベルグ総裁が、初めて私たちに公開して下さるというからです。
お札公開というふれこみだったせいもあるのでしょう。会場となったオペラ劇場は世界中のテレビとラジオと新聞記者そして、カメラマンで珍しく賑わっていました。

少し早めに会場へ入ったのに、食い意地の張ったわたしは、会場入り口の立食ルームで、、カナッペやサンドイッチをほおばっていただけではありません。顔見知りのジャーナリストとおしゃべりしたり、ついでに「『ユーロ』について日本人はどう思っているか」というインタビューを受けたりと、そちらに気を取られていたものですから、いい席を取りそこなってしまいました。
しかたがないので、やっとこさ見つけた隅っこの席に座って記者会見を聞くことにしたものです。

一九九九年一月一日から銀行決済サイドで「ユーロ」導入が開始されたのは皆様もご存知のことでしょう。その間、ユーロ安に悩まされ続けました。 それでもその困難を克服し、来年早々には、一般市民サイドで、「ユーロ」のお札とコインがお目見えします。

この「ユーロ」の金庫番として、初代の総裁に選出されたのがオランダ人のドイゼンベルグ氏でした。
そのドイゼンベルグ総裁、ようやくここまでたどりついたという感慨で胸がいっぱいだったのでしょうか。当日、氏は、これまでと違ってほっとしている様子でした。

しかしそれにしても、つい半世紀前、第二次世界大戦終了までは、ヨーロッパ大陸といえば、すきあらば隣の国にちょっかいを出して戦い、勝てば負けた国へ侵入し領土を分捕り、略奪し、負ければ身ぐるみ剥がれて降参する。その歴史を繰り返しでした。そんな国が寄り集まっていたヨーロッパ大陸で、「もう愚かな争いは止めよう」というのです。いいだしっぺは、その昔、中世のころから犬猿の仲だったドイツとフランスでこの二つの国が仲直りしたのです。そしてにイタリア、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダに声を掛け六カ国でグループを作って行動したのが、そもそもこの「ユーロ」誕生のきっかけでした。

やがて一つ二つと、「仲間にいれてくれよ」と手を挙げる国が増え始め、今ではその仲間は十五カ国になりました。今後は東欧諸国なども仲間に入ることになりますので、欧州連合はさらに増えていく傾向にあります。
そのような中で、これまで各国がばらばらに鋳造していた通貨を一つに統一し、欧州独自の共通のお金を通用させようという、その共通通貨が「ユーロ」なのです。しかもフランクフルトはその拠点です。 そのフランクフルトに住む私です。何てラッキーなのだろうと、つくずくそう思います。

さて、この共通の通貨ですけれど、目下のところ仲間は十二カ国で、お札は五、十、二十、五十、百、二百、五百ユーロと合計七種類あります。しかもこのお札のデザインですが、これまで各国で使っていたお札のデザイン(大なり小なり、自国を強調するために自国の英雄や文化人を印刷していた)をすべて取り払い、その代りに、オモテは欧州連合(EU)加盟国のシンボルで、どの国の人間も自由に出入りするようにと、ゲート(=門)を、そしてウラにはその掛け橋であるようにと、欧州大陸の地図と橋が印刷してあります。
ヨーロッパがいつまでも平和であるよう、その祈りを込めたお札ともいえるでしょう。

というわけで、今月の同人社連載エッセイ「ドイツからの警鐘」はアジアもそうであってほしいと「日本のアジア長期外交のスタートか」としました。

さて、最後になりますが、九月中旬から2週間、日本へ里帰りします。九月三十日に、日本会議の女性の会が発足され、会長安西愛子氏、副会長衆議院議員高市早苗氏や西川京子氏、埼玉大学教授長谷川三千子氏と共に出席することになっているからです。

投宿先はいつものとおり、「虎の門パストラル」です。
どうか気軽にお声を掛けて下さいますよう。
 

ではまたまた

平成13年9月1日
クライン孝子

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