クライン孝子  お知らせ


皆様,お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 私の方、何となくあくせくしております。
 もっとも忙しいというのは幸せかもしれませんね。

 お陰さまにて、拙著『お人好しの日本人したたかなドイツ人』(海竜社),好評で、先日編集担当の仲田てい子さんから、「トッパンが韓国語に翻訳したいって、話が入ってきたわよ」と嬉しいニュースを,電話で知らせて下さいました。

「わが子を『サル』にする親と『ヒト』のする親」(PHP研究所)も売れ行き好調とこれまた編集担当の見目勝美さんからお知らせがありましたし、山陽ラジオでのインタビューを初め,いくつかの新聞や雑誌で、書評をしていただきました。

 さらに『捨てない生活』(ポプラ社)では、講談社の男性雑誌『オブラ』7月号にて、我が家のケチケチ質素生活が写真入れで紹介されましたし、NHKやその他ラジオでもインタビューを受けました。

 次作?  内緒でーす。

 編集者からは締め切り指定で、書くようにいわれました。でもこういうばあい必ず遅れるものと私は、悠然としております。(こんなことを書くと、きっと編集者にお叱りを受けるのだろうなあ)。

 それはさておき,今月から同人社のインターネット上で,激辛エッセイ『ドイツからの警鐘』の連載が始まります。どうかよろしくお願いいたします。

 最後に、4月21日「読売新聞社」主催の
『憲法シンポジューム』でパネリストとして発言した内容と、4月29日「日本青年協議会結成30周年記念大会」での提言(内容は『祖国と青年』誌7月号に掲載)をこのおしらせ欄にて公開し,皆さんといっしょに憲法についてかんがえることができたらなあと、思っております。

 少し長くなりますけれど、どうかよろしくおねがいいたします。
 
2001年6月1日
 
クライン孝子



「政治の復権をめざして」
実質問われる国民主権 / 憲法論議、一層の発展を



 「憲法シンポジウム―政治の復権をめざして」(読売新聞社主催)が四月二十一日、東京・内幸町のプレスセンターホールで開かれた。衆参両院の憲法調査会では、「国の在り方」について論議が進んでいるが、政治の混迷は続いている。小泉新政権の掲げる「改革」の中身も、いまひとつはっきりしない。憲法をめぐる論議をさらに発展させ、「政治離れ」「政党不信」を解消するための方策などについて、有識者に意見を戦わせてもらった。
 読売新聞・憲法フォーラムへリンク


◆参加者◆
<コーディネーター>
御厨 貴  政策研究大学院大学教授(日本政治史)
<パネリスト>(五十音順)
井沢 元彦  作家
大石 眞  京都大学教授(憲法学)
クライン孝子  ノンフィクション作家
坂本 多加雄  学習院大学教授(日本政治思想史)

◆冒頭あいさつ
御厨 貴氏  憲法運用も重要に

◆問題提起
大石 眞氏  「不磨の大典」 イメージ改めよ
クライン孝子氏  女性の行動が発端 独47回目の改正

ここ三十二年間ドイツに住んでおり、日本のことについては浦島太郎のようなものだが、外からの視点で語りたい。
 私は終戦の時は六歳で、旧満州(中国東北部)から引き揚げてきた世代だ。欧州へ移る前、日本の学校で戦後の民主主義教育を受けた。
 中学で、日本は戦争を放棄した国だと教わり、世界に例がないいい国だと思って一九六八年、二十七歳でスイスのチューリヒに渡った。ところが欧州で目の当たりにしたのは、プラハの春やフランスの大規模な学生運動、そして米国のベトナム戦争への反対運動など激動する世界だ。
 日本の一国平和主義なんてとんでもないと感じ始めたのはその時からだ。それから一生懸命、政治の勉強をはじめた。そして今、痛切に感じるのは、日本はのほほんとした眠り姫のような国だということだ。
 これに対し、ドイツは東西に分断されて冷戦の最前線に位置してきた。そして戦後、ドイツ基本法(憲法)を四十七回も改正した。最も新しい改正は昨年だ。緊急事態の際、女性も前線に出て武器を手に戦いたいという声が女性の側から出てきたからだ。ドイツの憲法は十二条aに「女性は武器をとらず後方部隊として支援すべきだ」といった趣旨がうたわれていたためだ。
 日本と同様、第二次大戦の敗戦国のドイツは欧州各国から「ナチス」イコール「戦争好きの国」と誤解される面があり、こうした問題は常に周辺諸国の了解を必要としてきた。
 そこで女性の訴えは、欧州司法裁判所に持ち込まれた。裁判所は欧州共同体指令に男女平等が規定されていることを踏まえ、女性も前線で武器をとることが出来ると認定し、女性はその結果をドイツに持ちかえった。連邦議会(下院)と連邦参議院はそれぞれ、三分の二以上の賛成で四十七回目の憲法改正にこぎつけた。
 ことほどさように、日本とドイツではものの考え方が違う。一九九四年、読売新聞から一回目の憲法改正の提言があり、衆参両院でも憲法調査会の議論を通じて憲法を考える機運が盛り上がっている。
 今後は、世界の現実をよく見据えて大国にふさわしいたたずまいを身に着け、政治家も国民も欧米諸国の仲間に入るべく行動してほしい。憲法改正は一日も早くすべきで、論議だけの憲法ごっこはもうやってほしくない。

井沢 元彦氏  改正条項見直し 考えるべき時
坂本 多加雄氏  憲法改正の論点 「9条」に絞れ

◆討論
首相の指導力
 ・「公選」と議会 混乱も/坂本氏  ・議院内閣制でも機能/御厨氏
 ・憲法に明確な規定を/井沢氏
二院制
 ・役割分担ないなら無用/井沢氏  ・異なる選出方法採用を/大石・坂本氏
 ・
参院は学識経験者らで/クライン氏

 
◆役割分担ないなら無用/井沢氏

井沢氏 (下院である衆院、上院にあたる参院で国会を構成する)二院制は意義を失っている。華族制度を廃 止したのだから(旧憲法下の貴族院を参院が)踏襲する必要はない。左右対称の国会議事堂の片方が空くとまずいということかも知れないが、役割分担がないならリストラしていい。

クライン氏 同じ意見だ。ドイツでは参院は州代表で形成し強権を持つ。徹底的に討論し、連邦議会で決めたことをけることがある。日本の参院は衆院の腰ぎんちゃくだ。
 


◆異なる選出方法採用を/大石・坂本氏
 

大石氏  参院は衆院と別の選挙制度で多様な民意を取り入れるということはあり得る。一般的に上院議員の任期は長く、一回の選挙で全部入れ替えをしない。下院は選挙をやれば一挙に変わる可能性がある。上院は、ダイナミックに動く下院に対して緩和的な働きをする。諸外国の上院制度を比べるとそこに落ち着く。

井沢氏 
今おっしゃったことはもっともだと思うが、だったら参院は選挙に惑わされず、じっくり外交と防衛をやるとか役割分担的なものがあればいいが、それがない。

大石氏 外交とか防衛の問題は、国の重要なものも含むので、その点はむしろ下院が権限を持つべきだという議論の方が成り立つ。
 

坂本氏 二院制の意味はあると思っているが、衆院と同じ構成の参院を作っても意味がない。衆院の優位は保ちながら、参院は衆院とまったく違った議員の選出方法というのがあり得るのではないか。任期を七年とか八年とかにして、再選は認めないとか、大胆に議論する必要がある。


 ◆参院は学識経験者らで/クライン氏

クライン氏 衆院を定年制にして、参院には元首相の中曽根さんとか宮沢さん、さらにすぐれた世界観を持つ学識経験者や文化人で構成すればいい。


御厨氏 
イメージとしては戦前の枢密院のような、長い射程距離で政治を考えることを参院で制度的に保障しようとすれば、これは一つの議論かと思う。


参審制
 ・社会常識の反映は大切/大石氏  ・時間の余裕ないと困難/クライン氏
 ・現行裁判制度は硬直化/御厨氏
クライン氏 ドイツでは社会裁判所、司法裁判所、労働裁判所などがあり、参審制が行われている。(軽い刑事事件の参審制の裁判では)裁判官は一人で、あと二人(の参審員に)市民が選ばれる。少年犯罪の裁判には学校の先生、労働裁判所での裁判には労働組合の人が参審員に入ることが多い。

 ◆社会常識の反映は大切/大石氏

大石氏  参審制の導入は司法制度改革審議会が提案した。大事なのは国民の健全な社会常識を反映させるという視点だ。
 参審制は憲法違反との指摘もあり、司法制度改革審議会でも意見が割れたらしいが、柔軟な考え方が可能だ。参審制には賛成だが、問題もある。他に職を持つ人が重大犯罪などの裁判にずっと従事するのは大変なことだ。場合によっては暴力団に襲われたり、テロの可能性もある。どうやってそういう人を守り、長く拘束しないで短期間で結論を出すかは重大な問題だ。


 ◆時間の余裕ないと困難/クライン氏

クライン氏 日本人は忙しすぎる。(ドイツで選ばれる)市民裁判官はフリーな人が多い。時間的な余裕をもった人でないとできない。その意味で日本では(参審制は)難しいと思う。
 

坂本氏 裁判官には裁判官特有のものの考え方がある。それも尊重すべきだが、素人が見て首をかしげるような判決が出ることもある。庶民の常識が生かされる余地をつくる意味でも参審制は検討の余地があると思う。

井沢氏  死刑のような重大な決定にはむしろ国民がかかわるべきだ。職業的裁判官は司法試験に受かった官僚に過ぎず、そこまで重大な決定をゆだねていいのか。ただ、日本では機が熟してない。
 

クライン氏 ドイツは隣人とのトラブルもすぐ裁判に持ち込むが、終わるとけろっとしている。日本人はいったんことを構えれば恨みは一生ものだ。


 ◆現行裁判制度は硬直化/御厨氏

御厨氏 
仮に自分の裁判に隣人が参加した場合、公平性が担保できると思うかどうか。それでもなお参審制がいいのは、現在の制度があまりに硬直しているからだ。裁判官は批判を一切受け付けないが、他人が入れば雰囲気も変わる。


参審制と憲法
 国民の司法参加として、政府の司法制度改革審議会は、刑事裁判に、「裁判員制度」(仮称)と呼ぶ、実質的な参審制を導入するという意見をまとめた。六月の最終報告に盛り込まれる。
 参審制は、職業裁判官と一般の国民が協力して裁判を行う制度で、ドイツ、フランス、北欧などで行われている。審議会案は、次のような仕組みを示している。
 対象となる刑事事件は、死刑・無期懲役など法定刑の重い重大犯罪。参審員は選挙人名簿をもとにしたリストから事件ごとに選任される。
 裁判体は、職業裁判官と参審員で構成する。その数の割合(例えば、ドイツの地裁は裁判官三人+参審員二人、フランスの重罪院は裁判官三人+参審員九人)は、さらに検討する。参審員は裁判官と対等に評議し、有罪・無罪と量刑を多数決で決める。判決書は裁判官が作成する。
 参審制について、憲法学界では、「日本では違憲」とする考えが有力だ。憲法は、職業裁判官だけの裁判を想定しており、素人の臨時裁判官を認める余地がない――というのが大きな理由だ。これに対し、審議会案は、憲法は、地裁などの構成を定めておらず、国民が素人裁判官として関与することも許される。職業裁判官の意見を無視しないように評決の方法を工夫すれば、憲法に反しない参審制を設計できる――、としている。


会場の質問に答えて
◇憲法論議の進め方

 クライン氏 マスコミが積極的に社会に広めるべきだ。学生同士の公開ゼミナールをやればいい。
 
井沢氏 教育の問題も大きい。日本ではなぜ軍隊を持つべきか教えられていない。戦争という野蛮なものに女性や子供を巻き込まないためだという基本ルールを知らずに大人になる。今の憲法はおめでたいだけの「ハッピー憲法」で、外国の侵略などを想定していない。

 ◆日本は大人の自覚持て
 
クライン氏 具体的に(憲法改正を)やっていかないと日本は世界から取り残される。戦後、戦勝国が日本とドイツに武器を持たせなかったのは、いいものを造られるのが怖いからだ。日本は自立した自覚を持つ大人になるべきだ。

 ◆論憲に期限設けるべき
 
坂本氏 憲法調査会をめぐっては「改憲の前に論憲を」という意見が一部にあるが、何年論憲するのか期限を設け、タイムテーブルを作らないといけない。
 
大石氏 冷や水を浴びせるようで悪いが、皆が皆、憲法に関心を持つことはあり得ない。大事なのは、関心ある人がそれなりの見識を持って発言することだ。



◇集団的自衛権
 ◆憲法解釈は政治の責任
 
大石氏 「これは私の権利だ。けれど、使ってはいけない」ということを納得する人がいるはずはない。権利があるなら、それを実効的に行使すべきだというのが普通の議論だ。集団的自衛権はあるが、行使できないとの解釈を示している内閣法制局は非常に苦しいことを言っている。集団的自衛権をめぐる憲法解釈は政治の責任でやらなければいけないことで、行政機関の一部である法制局にあれほどの権限を持たせること自体がおかしい。


◇安全保障教育
 
井沢氏 大学に軍事学部があるべきだ。健康を追求するためには、病気の原因や治療を研究しなければならない。平和を求める国家にそういったものがないのはおかしい。
 
坂本氏 米国の大学(の講義)には「戦略論」というのがある。特殊な科目ではない。
 
大石氏 憲法の講義だけがすべてではない。あまり短期的にこういう講義がないということだけで考えない方がいい。



日本青年協議会結成30周年記念大会での提言
(雑誌『祖国と青年』7月号に掲載)



歯がゆい日本国憲法―ドイツの改憲と日本


 ドイツは四十七回憲法改正している§
 憲法改正のチャンスを逃さないドイツ§
 日本をドイツと同じ「普通の国」に§
  ドイツは四十七回憲法改正している§
 日本でも、ようやく二〇〇〇年一月から国会衆参両院において憲法調査会が設置され、そして活発な意見交換が今なされているということを聞きました。まあ、遅まきながらと言っていいのでしょうか。つい最近までは、日本の国会では憲法論議について発言する大臣は首が飛んだとお聞きしていまして、ドイツでは考えられないような話だと思っておりました。そういう意味では、変われば変わるものです。時代というものは面白いものです。
 とりわけ、今回国民の多大な期待をもって成立した小泉新内閣は、成立当初から憲法改正も視野に入れて二十一世紀の日本丸船出にいい舵をとりたいとおっしゃっておられましたので、私は本当に嬉しく思っております。
 そうは言っても、半世紀前の日本とドイツは同じ枢軸国として、第二次世界大戦でアメリカをはじめ連合国と戦い、そして敗戦の憂き目に遭いましたものの、憲法一つ取り上げてみましても、両国における対応は月とすっぽんの違いがあります。なぜなら日本はこのめまぐるしく移り変わる世界情勢の中で、一度も憲法改正を行って来ませんでした。とりわけ安全保障問題に関しては、日独の格差たるや、何と五十年の差が出てきております。日本における平和ボケ、危機管理ゼロというのが、その何よりの証拠かと思います。
 その日本の皆さんがお聞きになると、きっとびっくりなさると思いますが、実はドイツは憲法なるもの(正式名は「ドイツ連邦共和国基本法」)を、昨年十月までに何と四十七回も改正しております。さらに、今一つ、皆さんにお知らせしますと腰が抜け落ちるばかりにびっくりなさるのではないかと思うのが、昨年十月二十八日に改正された基本法の項目です。ドイツの基本法の基本権第一二a条「兵役義務と役務義務」の最後の箇所には、「女子はいかなる場合においても武器をもってする役務に従事してはならない」という項目があります。この一項目に関して、一女子兵士より「これでは基本法の基本権第三条の男女平等の条項と異なり違憲ではないか」との訴えがあったのです。もっともこの改正手続きですが、非常に慎重に事を運んでいることです。なぜなら、この条項については、ドイツ国内だと却下されると判断して、一足飛びに欧州司法裁判所へ持ちこんで欧州司法裁判所の判断を仰いでいることです。欧州司法裁判所はといいますと、「欧州条約」に男女平等が明記されていることを踏まえて、女性も前線で武器を取ることが可能であると判断し認定致しました。その勇敢なる一女子兵士は、その結果をドイツに持ち帰りました。そして改めて、連邦議会と連邦参議院の三分の二の賛成を得ることで四十七回目の憲法改正にこぎつけたのです。
 もっとも、何故、ドイツでこのような七面倒くさい手続きを取ることにしたかというと、これは皆さんもお気づきだと思いますが、日本に対する周辺諸国の過敏な反応と同様、ドイツも周辺諸国から常に「戦争好きの国」として色眼鏡で見られてきたからです。誤解を受けてギクシャクするのを避けるために、先ず欧州サイドの了解を得る方法を最善策としたのです。
 いずれにしても、ドイツはこうした周辺諸国に対する気配りを行いながらも、堂々と女性兵士の前線における武器携帯を憲法改正によって認めてしまいました。しかも、この憲法改正を行ったのは、何と土井たか子さんが率いておられる社民党と同じ現ドイツ社会民主党シュレーダー政権であることです。護憲を錦の派ととして一歩もひこうとしたに日本の社民党と何と違うことでしょう。

 憲法改正のチャンスを逃さないドイツ§
 ドイツでは安全保障について、戦後ドイツの運命を変える転換は二度訪れました。ドイツは二度ともその絶好のチャンスを捉えて、すかさず「基本法」改正に乗り出しております。最初は、ドイツの北大西洋条約機構入りの話が浮上してきた一九五四年十月二日直後です。改正されたのはその二年後、一九五六年三月十九日のことで、さっそく当時の西ドイツは、「基本法」に徴兵義務と再軍備を盛り込み、明記しています。それまでドイツは日本と同様、自国の軍隊を持つことは許されていませんでした。
 この辺のドイツを取りまく世界情勢ですが、先ず、「基本法」が公布されたのは、日本より三年遅れた一九四九年五月二十三日。その後西ドイツ初の総選挙が行われ、キリスト教民主・社会同盟が勝利を得て、九月二十一日、初代首相にアデナウアーが選出されました。実は、ちょうどこの時期に、北大西洋条約機構が創設されています。一九四九年四月四日のことで、この時点では、まだ残念ながらドイツは仲間には入れてもらえませんでした。この間に極東では朝鮮戦争が勃発しております。
 一方、東ドイツでは一九五三年、世界一の独裁者と言われていたスターリンの死をきっかけとして、「ベルリン蜂起」が起っています。この蜂起は、東ドイツの労働者が西ドイツに比べて過酷なノルマを強いられたのに反発して、時の東ドイツ政府にノルマ取り消しを要求して起ったものでした。ソ連の屋台骨を揺るがしかねないこの蜂起を、ソ連としては見逃すわけにいきません。ただちに武力で鎮圧し、反乱者には熾烈な処罰で臨みました。この「ベルリン蜂起」をきっかけに、東西ドイツの溝はいっそう深まり、緊迫状態が高まりました。そればかりか、東西ドイツを巡ってはお互いに多くのスパイが出たり入ったりして、スパイによる情報合戦も激烈になっております。
 こうなると、西側は黙って見ているわけにはいきません。そこで、アメリカを始めとしたNATOの間では、これ以上西ドイツを仲間外れにしてはまずいと判断して、NATO加盟を促したのです。アデナウアーは、まさにこのチャンスを逃そうとはしませんでした。
 実は一九四九年に基本法を制定し、主権国となった西ドイツでしたが、再軍備に関しては日本と同様タブーでした。西ドイツの国防は、それぞれ占領されていたアメリカ、イギリス、フランスのテリトリーの軍隊に委ね、手も足ももぎ取られておりました。そのため、せっかく主権を回復したといっても、国防に関して西ドイツは何の権利も与えられず、占領そのままの状態に置かれていたのです。西ドイツ軍もありませんでした。ですからアデナウアー政権誕生の当初は「国防省」もありませんでしたし、ましてや「国防大臣」という地位もありませんでした。
 占領国としても、二度とドイツには軍備を持たせてはならないということで、ありとあらゆるドイツの軍事に関するものは破壊し、同時に貴重な機密文書はすべて没収し、自国に持ち返っております。その上で、彼らは自国の軍隊を駐留させ、ドイツ人を管理し、ドイツ人が密かに軍備に取りかからないように監視しておりました。西ドイツは「基本法」作成に取りかかった時も、この点については口うるさい姑さんみたいに、占領三国から文句を言われて、クギをさされ、干渉されております。
 この西側の空気が変わったのは、それから間もなくのことでした。イギリスやフランスは戦勝国になったとはいえ、それまでアジアにあった植民地を次々と失ってしまいました。彼らが独立宣言したからです。しかもその独立国は、イギリスやフランスの統治を嫌うあまり、ソ連の喧伝する共産主義に傾きはじめました。とりわけ一九四九年に中国が毛沢東の指揮下にあって共産主義国となり、その延長線で、翌一九五〇年に朝鮮戦争が勃発したものですから、西側があわてふためいたのも無理もありません。このまま放置しておくと、一挙に西側諸国におけるソ連化が始まる。その西側の危機感が、ついに西ドイツをそれまでの敵国=敗戦国から同盟国にしたてあげたのです。そして手のひらを返したように味方にひきいれる工作が展開されるようになりました。そのとたん、西ドイツは「基本法」改正に手をつけたのです。
 かくして一九五六年の「基本法」改正では、すでにお話ししましたように第一二a条というものを加えまして、「国防その他の役務義務」の条項が書き加えられることになりました。こうして、NATO加盟の機会を捉えて、「再軍備」および十八歳の男子には「徴兵」の義務を課すことにしたのです。その後、徴兵が嫌だという男子に対しては、「奉仕の義務」をその選択肢として与えております。私事にわたりますが、私の息子も十八歳になった時、町から一枚のはがきを受け取りました。その内容は「君は何月何日に成年になった。ついては基本法第一二a条に従って十カ月、兵役か奉仕活動に従事してほしい」というものです。息子はさっそく空軍の衛生看護兵として兵役につきました。クラスの男子生徒のうち、三人に一人が兵役についたと息子は語っておりました。

 日本をドイツと同じ「普通の国」に§
 二つ目は、一九六八年六月二十四日に実施された大幅な非常事態に関する改正です。去年、小渕さんが急に病気で倒れられたときは「空白の二十四時間」といって大騒ぎになりました。また今回あれだけ多数の国民の支持を得て小泉内閣が発足になった後も、たった一日ぐらいで閣僚人事をお決めになりました。ドイツですとあのような場合、十日間ほどかけて閣僚人事を決めます。小泉総理も「適材適所」とおっしゃられましたが、私には半分ぐらい適材適所でなかったのではないかと思えました。
 そこで私、非常に不思議に思ったものです。ああいう一日の猶予も許されない閣僚人事の決め方ですが、これは結局日本の憲法に「非常事態」条項がないからではないかと。
 さて、ドイツにおけるこの条項改正については、すでに一九五八年、即ち十年前から政府側は既にその草案を連邦議会に提出して、成立に向け努力していました。しかし社会民主党が絶対反対を唱えて、三分の二の同意を得ることが出来なかったのです。その間に、ちょっと前後しますが、一九五六年にハンガリーの動乱が起き、ついで六一年には「ベルリンの壁」が構築されました。その辺から、東西の亀裂はますます深まります。国境を挟んでお互いに情報合戦が行われるのですが、特に東ドイツは、ベルリンに「壁」を構築しなければならないほど、あらゆる面で西ドイツに劣っていました。その落差を埋めるためには、東ドイツでは言論統制を布いて国民をつんぼ桟敷にし、西ドイツのマイナス点を強調して国民洗脳に躍起になりました。密かに西ドイツへスパイを送って内乱を企てたのもそうです。学生運動はそうした撹乱を起こすために“もってこい”の動員道具でした。反米感情をたきつけ、学生たちに火をつけるのです。ベトナム戦争がドロ沼に陥り、アメリカでも反戦運動が巷に火を噴きはじめました。この火は西ドイツにも飛び火してきました。そして日を追うごとに学生運動は過激化し、彼ら過激学生によって政府の要人や、財界、金融界の大物が誘拐されたり暗殺されたりしたものです。
 その点では、日本の学生運動は過激だと言いながら、日本の政治家を暗殺したことがないわけですからまだ柔らなものです。別に私は人を殺せと言っているのではありませんよ。
 こうした中で、西ドイツでは非常事態に関し「基本法」を改正する動きが、いよいよ現実味を帯びてきました。
 一方では、この改正に反対するグループがおりました。その反対グループとは労働組合、教会であり、一般市民も反対しました。元首都であったボンには、七万人もの反対者が反対デモを行っております。ところが、またそころがドイツの抜け目のないと言うのか、頭のいいところです。このころドイツの政権は、アデナウアーが退場し、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党が大連立内閣を成立させていた時期だったのです。政府はこの大連立内閣という絶好のチャンスをとらえて、さっさとこの改正に乗り出し、成立させてしまいました。
 この辺が日本と違うところです。日本は、戦後五十年、確かに節目節目には、憲法を改正するチャンスがありました。もっとも大きなチャンスは二度ありました.一度は朝鮮戦争勃発のころ、二度目は湾岸戦争です。ところが、このせっかくのチャンスも、ボケっとしていたものですから、あっという間に取りのがしてしてしまいました。
 というわけで、日本人は危機対応に関する抗体が薄れてしまっております。憲法が戦後一度も改正されなかったことが、何よりの証拠でしょう。今、日本の憲法がようやく改正の機運に乗ってきたことは大変結構なことですが、そのテンポたるや、かたつむりのように遅い。遅すぎると言ってもいいくらいで、何とかもっとスピードアップできないものか。まるで憲法改正ごっこをやっているようで、見ていられない。今後はどうか皆さんの草の根運動で、国民が一体となって憲法改正を実施し、日本を少なくともドイツと同じような目線で考えられる「普通の国」にしていただけるように心からお願い致します。(了)


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