クライン孝子  お知らせ

 


皆さまお元気でしょうか。

 私の方は、4月20日から29日まで日本に滞在していました。21日、読売新聞社主催「憲法シンポジューム」、29日に日本青年協議会結成30周年記念大会での「憲法フオーラム」に出席するために日本へ帰国し、そのついでに今年になって三冊目になる5月6日出版の拙著
「お人好しの日本人したたかなドイツ人」(海竜社)の完成本を手にすることと、次の出版ものについて、担当編集者と打ち合わせをすることでした。

 ところがあにはからんや、その日本滞在中に何と小泉総理誕生という、それまで想像もできなかった政変を目撃することになったばかりではありません。昨年夏ごろから「憲法改正」という点で一致したのをきっかけに、懇意にさせていただいた山崎拓衆議院議員が、小泉内閣では第二の強い地位である幹事長に就任なさいました。総裁選中、ホテルに閉じこもりその様子を見守っていた私は、山崎拓幹事長就任で、いつのまにか自分までが政権変革の渦に巻き込まれているのを知って、「ありゃっ」と驚いていました。

 日本の政治は「一寸先はヤミ」といいますけれど、まったくその通り!
 つい昨年11月には「加藤クーデター」が起こり、そのとき加藤支援に回られた山崎拓氏は、自民党主流派の怒りを買って、徹底的に冷や飯を食わされてしまいました。今年1月、日本帰国の際、山崎氏とお会いしたとき、氏は「どん底の心境にあり」といっておられたものです。すかさず私は、「どん底が深ければ深いほど、飛躍につながるものだ」と激励の言葉をさしあげたものでしたけれど。まさかその3ヶ月後に、早くもそのチャンスが訪れるなんて、いかに日本政治のめまぐるしいとはいえ、夢にも思いませんでした。何しろ加藤クーデタ−失敗直後、山崎代議士のお嬢さま手織さんと交わしたメール交換(2000年11月22日の「お知らせ」参照のこと)からでもわずか4ヶ月しか経っていないのですから。 

 というわけで、今回は、滞在中に起こったさまざまな出来事を日記に書き記してまとめてみることにしました。


4月20日(金) 午後3時成田着。NHKで研修している息子が空港まで迎えに来てくれる。

4月21日(土) 午後1時30分から午後5時まで、プレスセンタービル10階ホールで読売新聞憲法問題研究会主催の「憲法シンポジューム」にパネリストとして出席。コーデイネーター御厨貴氏(政策研究大学院大学教授)を中心に、大石真氏(京都大学教授)、坂本多加雄氏(学習院大学教授)、井沢元彦氏(作家)と共に憲法問題について戦わす。
前半は少しおとなしくしていたが、後半は思いっきりいいたいことを披露したものだから、会場の聴衆をすっかり沸かしてしまった。何よりも若者の姿が多く、シンポジューム終了後も私の周りに若者が集まってきて、いろいろ質問攻めにあって手応えがあったなと思うこと、嬉しかった。 
 仲良しの水谷妙子さん、それに今回初対面となったスポーツジャーナリスト 脇田泰子さん(東大卒。NHKでキャスターを務めておられたというだけに、欧米人との混血児かといっしゅん思ったほどの目のさめるような美人)とそのご主人小宮山氏が面会に来て下さった。夕方ホテルへ帰ると小宮山氏のご配慮で、浅岡さんという方がわざわざ横浜からお越しになって二時間指圧をして下さった。お陰で肩こりが治り熟睡できた。

4月22日(日) 月刊雑誌「voice」の編集者石井康恵さんが、6月号掲載のゲラ原稿をホテルまで取りに来て下さったので、息子と三人で、六本木近くまで散歩し、その後昼食を取る。夕方、主人と私の共通の友人で武蔵野音大の梅谷明教授、ついで例の美人スポーツジャーナリスト小宮山夫人こと脇田泰子さんがホテルへ訪ねてきて下さり、歓談する。
夜、山崎拓代議士のお嬢さん手織さんに電話を入れる。総裁選についていろいろ話したあと電話を切りベットに入る。疲れているのになかなか眠れず、とうとう朝になってしまった。

4月23日(月) 午前中は息子の下宿を訪ねる。大家さんはダンスの教師とかで、マンションをゲストハウスとして、欧米人にだけ貸しているとのこと。キッチンとバス・トイレと6畳一間で部屋代は月7万5000円也。マットレスがしいてあるので、そこで一時間ほどぐっすり眠りこんでしまう.息子はその間洗濯していたとのこと。
 夕方ドイツからティールゼ連邦議長が来日され、ドイツ大使館の招待で息子とプレスセンターへ行く。議長にお会いし握手を交わしたとき「議長、この総裁選のドサクサのときに来日されて、残念でしたね」とご挨拶したところ、「日本の首相って、いったい何ヶ月に一度変わるのですか」と聞かれ、つい苦笑してしまった。 
 夜ホテルへ帰ってテレビのニュースを見たら、地方選で小泉氏が圧勝したと伝えていた。ふとこれで小泉氏の首相選出は決まりかもしれないと思う。さっそく山崎手織さんに電話を入れて、翌日会う約束したあとひとしきり政局について意見を交わしたのに電話を切る。

4月24日(火) 総裁選の様子をじかに突きとめるためによほど自民党本部へ出掛けようと思ったが止めた。テレビや新聞の記者たちでごった返しをしていると想像したらついおっくうになってしまった。というわけで一日ホテルにこもり、「サピオ」編集部の村田君と歓談したり、部屋へ帰ってテレビを見、山崎幹事長のニュースが入ったところで、山崎事務所にお祝いの電話をしたあと、なかなか仕事から解放されない山崎手織さんに電話を入れ、夕方遅く会う約束をする。その間、仲良しのテレビ朝日の吉成デレクターとも会う。
 9時すぎになってやっと現れた手織さんと居酒屋へ出掛けて、お父さんの幹事長就任に関し、ながながと話しこむ。

4月25日(水)朝から雨。仕方がないので1日タクシーで移動することにする。10時半、NHKにて、息子と一緒に、息子のNHK研修で何から何までお世話になった滋野理事をお礼を兼ねて訪ねる。息子は6月半ばまでNHKでお世話になる。そのお礼のためにお忙しいところをご無理をいってお会いしたというのに、息子とは関係なく「またお会いしましょう」とお声を掛けて下さり、すっかい嬉しくなる。
その後、旧知の新井信専務(文芸春秋)、さらに産経新聞社を訪ね、世間話に花を咲かせる。。話題は小泉新内閣発足が中心。

4月26日(木)小泉組閣発表。田中真紀子外務大臣誕生! 氏に関しては演技屋だの、強引だの、厚顔だの、小泉氏と取引してはめただの、といろいろ取り沙汰されているが、私は大歓迎! こんな氏のマイナス点を挙げ連ねてあれこれいうのは、やっかみがあるからだ。悔しかったら、真紀子氏の爪のアカでも呑んで、その真紀子氏に挑戦して、勝ってみせることだろう。英語はうまい。元田中首相のフアーストレデイとして世界の要人とも会ってきた経験があるから、物怖じしない。どうしてこれまで彼女のような女性を政治の中枢におかなかったのだろう。結局これまでの自民党体質では、彼女のような優れた人材は煙たくてしかたがなかったのだ。 だからこそわざと、無視し冷や飯を食わせてきた。一種のイジメである。これに屈しないで、そのウラを掻いて見事に外務大臣の席を奪った彼女には敬意を表するしかない。天晴れ!
 午後からは産経新聞文化部の稲垣さんやポプラ社の野村さんがホテルまで訪ねてきてくださる。

4月27日(金) 日本会議の荒木栄子さんより29日の提言原稿を頼まれ、ほとんど徹夜に近い状態で仕上げたものだから、頭がボーっとして働かない。というわけで一日中、とんちんかんなことをしてしまった。最大の失敗は5月6日、発売される拙著「お人好しの日本人したたかなドイツ人」(海竜社)の担当頭編集者仲田てい子さんとの約束の時間を取り違えてしまったことだ。せっかく重い本をホテルまで届けて下さったのに会えずじまい。時間を見たら少し余裕があったので、慌てて海竜社まで謝りに行く。この出版社の社長さんは竹を割ったような気性の女社長。ちょうど昨年の今ごろ、作家曽野綾子さんから、日本財団会長のお立場から親しい者が招待され競艇に出掛け、初の対面となった。その後一度、築地のおいしいおすし屋さんにご招待していただいた。そのとき今回の仕事の話しがまとまり一冊の本になったのだ。出版社ではひとしきり、もっか身体障害者と一緒に欧州旅行をなさっている三浦朱門先生と曽野綾子さんのお噂をしたあと社を出た。そして、竹村健一氏事務所に向かう。このころには口も聞けないほど疲れ、ホテルへ帰ったとたん、朝まで眠り込んでしまう。

4月28日(土) 午後2時から4時まで、明治神宮の武道場「至誠館」で、東大、中央大、専修大の学生を前に講演する。皆熱心に聞いてくれ、講演してよかったと思う。息子には場所を教えておいたのに姿を見せなかった。たぶん場所がわからなかったのだと思っていたら、途中財布をなくして大騒ぎになったのだという。ここがドイツ人のすごいところである。諦めないで2時間あちこち探して回ったら、ついに駅の落し物係に届けられ見つかったというのだから。「ドイツだったら、とっくになくなっていたのに。日本っていい国だなあ」としきりに自分のしつこさをタナに挙げて感心している。おかしいったらありゃしない。
 そうそう夕方、九段会館では「主権回復49周年記念大講演会」があり、そこへも顔をだすことにした。この講演会は入江隆則氏、小堀桂一郎氏、井尻千男氏が発起人になって5年前に立ち上げた会で私も2年前、ピンチヒッターとして講演したことがある。今回はマンガ家小林よしのり氏や埼玉大学教授長谷川三千子氏が登壇されるというので、私も傾聴することにした。講演終了後、みんなで軽い食事をした。そこで小林よしのり氏とかなり長い間話し込んだ。にごりのない素敵な青年といった感じで、これまで以上に小林大フアンになってしまった。 再会を約束して別れる。

4月29日(日)息子と11時、銀座へ出て、留守番役の夫に、息子にとってはパパのお土産にと、天賞堂へいって趣味の「ミニ鉄道」一式を買い求める。その後軽い食事をとって、今回の日本滞在最後のしめくくりとなる「日本青年協議会結成30周年記念大会」の会場「東京国際フォーラム」へ下見に出掛けたところ、係の荒木さんに見つかってしまいあれこれとお世話になってしまう。出席者は1300人。
 私の出番は午後3時から5時までで、テーマは「歯がゆい日本国憲法―ドイツの改憲と日本」で、時間は15分。短い時間にあれもこれもと話さなければならないので、あらかじめ原稿を作っておいたのだが、結局脱線してあっというまに時間切れをなってしまった。固い真面目な話をするつもりだったのに。でも逆に大いに沸いて拍手喝采となったのだから、その方がよかったとあとでみんなからいわれた。やれやれ何とか成功したわいとほっとする。そのあとレセプションがありいろんな人から話し掛けられた。とりわけ講演の話が次々と入って、とまどうことったらなかった。スケジュールについては日本会議の荒木さんにお任せすることにした。

4月30日。あっというまに1週間が経ってしまった。息子に成田まで見送ってもらい、ドイツへ発つ。

 
というわけです。今後ともよろしくお願いいたします。
ではまたまた

2001年5月1日
クライン孝子

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