クライン孝子   お知らせ



2000年11月22日

 皆様, お元気でお過ごしでしょうか。随分,ご無沙汰してしまいました。
ばたばたしているうちに、あっというまにはや、クリスマス・シーズンに入ろうとしています。
仲のいい編集者からは,仕事仕事とせっつかれているのに,思うように進まず、本当に困ったものです。 ギリは欠かさないようにと思いつつ。


 さて、あれは8月でした。日本へ帰国したときのことです。突如,自民党の衆議院議員・山崎拓氏からご連絡を受けました。
拙著「歯がゆい日本国憲法」を読んでいただいたというのです。さっそく、議会に明るい仲の良い水谷妙子さん(お父上は故灘尾代議士の秘書)と誘い合わせて、山崎拓氏事務所を訪ね、直接山崎氏とお話しました。そのとき物静かで非常に控え目でいらっしゃるとの印象を強く受けました。 

 氏からご著書をいただきましたので、ドイツ帰国後、さっそく目を通させていただきました。
感銘したものですから、お礼とともに、近況をメールでお知らせいたしました。その後まもまくだったと思います。米系の会社にお勤めしながら氏のお仕事も手伝っておられるお嬢さまの手織さまから、「12月に新しく広報誌を発刊するので、父とメール対談をしてほしい」とのメールをいただいたのです。
 
 それからというもの数十回にわたって、氏とメール対談をいたしました。ゲラのチェックを終えてほっとしたときのことです。例の加藤紘一氏クーデターのニュースがドイツにも飛び込んできました。それ以後,決着のついた11月20日まで、私は手に汗を握る思いで,この様子を見て参りました。その間、結果はどうであれ、加藤氏との約束を厳守し、立派な戦いをなさった山崎氏に, 私は敬服したことは事実です。
 
  そこでさっそく、お嬢さまに次のような激励のメールをお送りし,ご返事をいただきました。
 このメールですが、手織さんのご承諾を得て、ここで公開させていただきます。


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山崎手織さま

今回,本当に大変だったと思います。
お察しもうしあげます。
お父様の今回の行動に対しては、皆様, 感心していらっしゃいますよ。
わたしもそうです。
何ごともそうですが、そう簡単にはいかないものです。
一歩前進すれば,二歩後退ということもありますし。
来年一月には日本へ帰国いたしますので、ぜひお会いいたしましょう!!!!!
楽しみにしております。
ではまたまた

クライン孝子


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クライン様

御気遣いいただき、本当にありがとうございます。
思わず目頭が熱くなりました。
私も、土壇場でのまさかの方針変更に、大ショックを受けました。あんなに国民の期待が盛り上がっていたのに・・・。
前日まで、HP&メルマガで変わらぬ決意を訴えたのに・・・。玉砕でもいいから、1人でも「賛成」にいってほしかったです。
でも、次に動くときのために何を準備したらいいか、と考えることにしました。
実は拓ネットにくるメールは、「がっかりしたけど、あきらめないでがんばれ」「山崎派は見直した。友情に感動した」みたいなのが多くなっています。
もちろん日本の世論の大半は、非難ごうごうだと思いますが努力を認めてくれる人もいるんだな、と。
ありがたいことだと、しみじみ思います。

父も、心機一転、がんばってくれると信じます。
どうぞ、お見捨てなきよう、今後ともアドバイスをお願いします。
取り急ぎ御礼まで。

山崎手織


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 というわけです。
 政治に携わる当事者の方も大変です。われわれとはまた違った意味でのご苦労がおありのようです。それだけに、皆さんもどうか政治に関心を寄せて、日本の政治を変え、よりよい国にするよう、今後心掛けていただければ、嬉しく思います。
さて末尾になりますが、小学館「サピオ」誌12月6日号から、コラムですけれど「World Watch]という連載が始りました。ご一読いただければ嬉しいです。


ではまたまた、
皆さまからのお便りをおまちしております。


クライン孝子 

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