weekly business SAPIO 99/9/23号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《フランクフルト国際自動車見本市にみる日本自動車業界の精気の無さ》


16年にわたったコール保守政権(キリスト教民主・社会同盟+自由民主党)が総選挙(1998年9月27日)で大敗し、シュレーダー政権(社会民主党+緑の党)にバトンタッチしてからかれこれ1年になる。当時その最大の敗因は長すぎたコール政権にるといわれたものだ。ドイツ市民の大半は「コールの顔をあと4年見るなんて真っ平」と思っていた。むりもない。何しろコール政権成立当初に生まれたこどもたちなど、16歳までドイツの首相といえばコール以外の顔を見たことがなかったのだから。
 この辺は1年か2年でくるくる代わってしまう日本の首相とは違う。もちろんこれにはお国柄やそれなりの事情があるからいちがいにどちらがいいか悪いか、そう簡単に言い切れるものではないのだが。

 それはさておいて、近ごろコール前首相の顔が急に明るくなり、いきいきとし始めた。理由は、このところコール所属の保守党が、次々と州選挙や地方選挙で勝ち続けているからだ。一方シュレーダー率いるところの社会民主党は全く振るわず、黒星続き。しかもその負け方がひどい。旧共産党に食われて第3党にすべり落ちてしまっている。

 こうした中で、コールの人気が再び盛り返していることも事実である。
 そのコールにフランクフルト市は『ユーロの父』として名誉市民権を与えた。今回はその話と、その記念式典に合わせて開催している自他ともに世界一と認知している「フランクフルト国際自動車見本市」についてレポートしてみようと思う。
 余談だがこういうコールを人寄せパンダにして見せるところはフランクフルト市の宣伝のうまさであり商魂のたくましさの一面である。

 コールがフランクフルト名誉市民に選出されたというのでその授与式に出席する
ため、夫人同伴でフランクフルトへやってきたのは9月15日である。参列者は世界的に知名度の高い政界、財界、金融界の大物ばかり300人で、その席上フランクフルトのロート市長(女性)は、次のような挨拶を行なっている。「コール博士は、ドイツ統一後、ボンからベルリンへの首都移転に当たって、フランクフルト所在の連邦銀行をフランクフルトにそのまま置いてくれた。その上、EU通貨統合における『ユーロ』導入では、フランクフルトを欧州中央銀行の拠点とするために尽力し奔走してくれた。この恩に報いるためにフランクフルト市市議会は全会一致で、コール博士を名誉市民として迎えることを決定した」。
 そのコール前首相にとって21世紀を目前に名誉市民に選出されたのは感無量だったらしい。ロート市長のあとに演台に立ったコールは、「21世紀を目前にしてこのような栄誉を授かることができて非常に嬉しい。フランクフルトを『ユーロ』の拠点にすることについては、故ミッテラン大統領からも『本当は反対なのだが』としぶしぶ了承されるといういきさつがあった。いずれにしろフランクフルトは『ユーロ』の本場としてロンドンのシテイを追いぬくことは間違いない」と述べて
いる。

 ちなみにこのフランクフルト名誉市民権だが、戦後フランクフルト市が設置した制度で、その市民権の対象は、原則としてフランクフルト市のみならず世界的に貢献のあった人物に限られている。コール前首相は13人目で、コールの前はミッテラン前フランス大統領が1986年に外国人として初めて、フランクフルト名誉市民として迎えられた。その他には、ノーベル賞受賞の物理学者オットー・ハーンやノーベル平和賞受賞のアルバート・シュバイツアー博士(いずれも1959年)が名誉市民として迎えられている。

 さて話は自動車見本市に移る。コールもついでに参観することになったこのフランクフルト第58回自動車見本市(自家用車・オートバイ)だが、今年は9月16
日から26日まで11日間にわたって開催されることになった。

 この自動車見本市は、今年の出展参加国が44カ国、出展参加社は約1200社(うちドイツ643社、イタリア72社、フランス65社、アメリカ45社、英国44社、日本35社、スエーデン27社、オーストリア25社、スペイン19社、韓国11社、その他)におよび、その見本市展示会場は全面積22万5000平方メートル(屋内展示会場面積全1〜10会場19万2000平米、屋外展示会場3万3000平米)と広大。一般参観者は90万人近くを見込んでいる。 
ドイツが他国と比較してその出展社が際立って多いのは、見本市会場が地元であること、ドイツは自動車王国で自動車製造はドイツにとって主要産業であること(年間売上高3100億マルク以上、自動車産業とその関連産業就労者500万人強)、その他にも、この展示会の歴史が古いことが挙げられる。

 その歴史を手短かに記述すると、1897年に第1回自動車見本市がベルリンで開催されてから、今日まで102年になる。第一次、第二次世界大戦下では中断されたこともあり、第二次世界大戦後にはベルリン東西分断により見本市会場がハノ
ーバー、ベルリン、フランクフルトと転々とした。だが、最終的に1951年の第35回からフランクフルト開催が決まった。その後は2年毎に開催され、1989年になって一般参観者が123万3100人に達したことから方針を変更。1991年以後、偶数年はトラック、バス、ジープなど実用車とその関連部品、奇数年は自家用車・オートバイとその関連部品見本市と分けて毎年開催する事になった。
 ちなみに日本の初参加は、1965年の第42回見本市からである。

 さてその見本市だが、今年から会場のちょうど中央8号館の真上に電車の停留所が新設されたので、見本市会場までの足が実に便利になった(我が家からだと電車で10分くらい)。
「見本市駅」で下車したあと、さっそく8号館のトヨタ、ホンダを一巡し、その後、ドイツの各社メーカーの会場を見て回る。出展社の数からして、日本はドイツに到底かなわないにしても、80年代後半から90年代前半にかけてドイツ自動車王国を追いぬく勢いを見せた日本自動車業界のあの当時の華やかな見本市ショーが、今年は2年前よりもさらに陰が薄くなって精気がない。日本車がふるわないわけではないのに、これはどうしたことなのか。気になってしかたがなかった。
 それ以外に、従来の見本市と違ってとくに目立ったのは、

1. 見本市自体がショー化して、いずれの会社もその派手なショーのために莫大なカネを継ぎ込んで、ショー合戦に余念がない。

2. ここ1、2年、急激に進んだ企業合併ブームのためか、例えばロールスロイスはどの会社に所属し、日産はどこの国の会社が所有しているのか、車種とメーカーの関係が混乱して、その見分けがほとんどつかなくなってしまった。

3. 自動車のモデルが画一でなくなり、各社とも特徴を出すのにいろいろ工夫しているせいか、ユニークなタイプの自動車が目に付いた。その反面、奇抜なタイプとデザインだけで顧客の購買欲をそそっている。

 もっともこうした感想についてある自動車メーカーの担当者は、以下のような理由を挙げてくれた。

1. 顧客の自家用車に対する趣向がぜいたくになり、より大型で、よりスピードが出て、かつ世界に通じるスマート=モード=フアッショナブルな自動車に人気が集まる。

2. 顧客の購買サイクルが早くなり使い捨て傾向にある(つい2、3年前までは耐用年数10年が普通だった)。
 そのためドイツでは今年の中古車台数は120万台(一年前より20万台増)に上り、中古車市場はだぶついているという現象が見られるようになった。

 その一方で、これではいずれ墓穴を掘ることになりかねないとの自動車メーカーの反省から、別の試みが行われているという話も聞いた。その試みとは、@コンパクトでかつ快適なカー Aインターネット接続のナビゲーションを取りつけた安全性の高いカー B環境にやさしいカー Cリサイクルの利くカー D省エネカー の生産で、今や各社とも来る21世紀に備えてこうした車つくりに全力を挙げている。といえば聞こえはいいが、実はすでに血みどろの自動車開発生産競争に突入しているというのである。日本の自動車業界もうかうかしてはいられまい。

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