weekly business SAPIO 99/12/23号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《台湾海峡、北朝鮮問題で力量が問われる「サミット議長国ニッポン」》

12月10日、フィンランド・ヘルシンキで開催されたEU首脳会議を受けて、先週12月15、16、17日の3日間、ここドイツの首都ベルリンでは、一度に3つもの国際行事が行なわれた。1つは16日のG−20における日米欧主要7カ国と新興国による20カ国蔵相・中央銀行総裁会議、2つは16、17日の2日間、G−8による外相会議、3つ目は17日に行なわれたナチス時代の強制労働補償最終合意とそのセレモニーである。
 まず前者2つの国際会議についてだが、その主な目的については日本のマスコミがすでに報じているので、ここでは日本に関連する2点について記述しておこうと思う。

イ) G−20蔵相・中央銀行総裁会議では、国際通貨寄金(IMF)のカムドシュ専務理事の後任トップ人事に関して、日本では榊原大蔵相前財務官擁立を決めているというが、一方EU(=欧州連合)ではドイツ人で連邦大蔵省政務次官コッホ・ヴェーサーを推薦すると発表した。

ロ) G−8外相会議では、来年議長国となる日本へ今年の議長当番国ドイツからの引継ぎ事務が公表された。

 とくに後者、つまり日本は来年サミット議長当番国である。今回の外相会議では第二次小渕内閣で外相ポストを得たばかりの河野洋平代議士が高村前外相に代わって出席した。バトンタッチされた直後であり、17日に行なわれた日独外相合同記者会見では、河野外相は終止丁重で、さっそくフイッシャー外相に「来年の沖縄サミットに役立てるためにドイツの議長国としての体験をできるだけ提供してほしい」と依頼した。フィッシャーは快よく引き受けたのち、次のような忠告も行なっている。「今年はドイツは議長国として年初からコソボ紛争という大問題を抱え込み、その紛争解決に全力を尽くした。しかもようやくコソボ紛争が山場にきて一段落したと思ったのもつかの間、議長国当番最終段階に入るや、新しくチェチェン問題を抱え、ヨーロッパはこの問題で引っ掻き回されることになってしまった。今回議長国の役目を終えて、この責務を来年日本に渡すにあたって、日本だけはとくにアジア地域でこのような問題に巻き込まれることのないよう充分気をつけてほしい」。

 これは昔からのフイッシャー自身の人柄やその反戦に寄せる思想に根ずいているもので、日本とその周辺の平和維持のために、心をこめて贈った温かいメッセ―ジである。単なる思いつきで行なったリップサービスではない。
 とくに12月20日、450年ぶりに中国へポルトガル領マカオが返還されるに至り、中国の次のターゲットが台湾にあることは、欧米諸国では周知の事実となっている。加えて北朝鮮問題も予断が許せない。とあっては、日本もうかうかしていられない。この極東和平に関しては、ひとえに日本の外交手腕にかかっているからだ。

 さてドイツでは2000年を迎えるに当たり、これまで戦後45年にわたって放置されてきたナチス時代の強制・奴隷労働従事者に対する戦後補償に関し、17日ベルリンにてオルブライト国務長官、フィッシャー外相立会いのもと、アメリカ側交渉者スチュアート・アイゼンスタート(財務省)とドイツ側交渉者オットー・グラフ・ラムスドルフ(自由民主党議員)との間でその補償額が取り決められた。
 結果、100億マルク(企業側=約60社50億+ドイツ政府側50億マルク)で合意され、基金設立がまとまったのだ。
 もっともこの交渉は開始後、すでに3〜4カ月経るという困難な作業で、ドイツ側としては最高額として企業側50億マルク+ドイツ政府30億マルク=80億マルクを提示し、これ以上では補償不可能としてきた。一方アメリカ側では当初から100億〜150億マルクを主張。交渉は最終決着日まで持ち越されるおとになってしまった。
 結局クリントン大統領が登場し、最後まで抵抗していたシュレーダー首相を説き伏せる形で補償金額は決定した。ただし、この金額に弁護士料が含まれているかどうかまだ明確でない。

 ナチス時代のユダヤ人虐殺に対するドイツ政府の戦後補償は1951年9月、イスラエル・ドイツ間合意によって30億マルク支払ったのを手始めに、すでに約半世紀にわたる。これまでドイツ政府が償った戦後補償はカネだけでも1300億マルク(=約七兆円強)に上り、補償はその他にもモノやヒトなどさまざまな形で行なってきている。
 というわけで、ドイツではもうそろそろこうした補償に時効があっていいのではないかという意見が出てきており、それが今回この交渉がぎりぎりまで抵抗し難航した理由だ。ことにシュレーダー世代(1944年生まれ)は、第二次世界大戦とはまったく関係のない世代である。それなのに、なぜ、旧世代の“負”のつけまで支払わなければならないのかというのだ。
 こうしたドイツのとくに戦争を知らない世代の声も無視できず、ドイツ側もその辺の事情をアメリカ側に伝え譲歩を促していたのである。

 そのドイツが土壇場でなぜアメリカ側の主張に従うことになったか。その理由だが、

1) “道義上”という立場: ヨハネス・ラウ連邦大統領が「当時強制並びに奴隷的作業によって犠牲を強いられた人々には、お詫びしてもしきれない。どうかお許し願いたい」とのコメントを出したように当然補償はすべきである。

2) “経済上”というメリット: ドイツ企業はアメリカとの密着・依存度が高い。補償出し渋りによってアメリカがつむじを曲げ、アメリカにおけるドイツ製品ボイコット運動にエスカレートすれば、たちまちアメリカから爪はじきにされるばかりか、世界の信用を失い孤立化しかねない。

 事実、こうしてアメリカの要求を呑んだドイツの対米関係はすこぶるよろしい。
そのドイツに来年のサミット議長国日本は、協力を要請したというのだ。これで日独関係も、これまで以上に密接になるのではなかろうか。そういえば、来年ドイツでは“日本年”というイベントを起こすということだ。これをきっかけとして、いっそう日独関係が緊密になるよう、祈念してやまない。

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