weekly business SAPIO 99/11/4号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO
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クライン孝子 TAKAKO KLEIN
《頻繁なトップの首の挿げ替えと女性切り捨てが日本の国際化を立ち遅らせている》
今回の日本滞在目的は拙著「甘やかされすぎるこどもたち」がポプラ社から出版されたこと(お陰様で、売れ行きは好調で発売て4日目にして増刷)と、偶然だったとはいえ、
1. 海外在住日本人が起こしてきた裁判「在外日本人選挙権剥奪違憲」訴訟の判決が10月28日に下りるので、その原告代表として判決を聞いたあとに記者会見に出席すること。
2. シュレーダー独首相が10月30日から11月2日まで訪日。11月1日には小渕首相より首相官邸でのシュレーダー首相歓迎晩餐会の招待を受けた。
という行事が重なり、その様子を見てみたいと思ったからである。
そこで、今週はひとまず結果の出た「在外日本人選挙権剥奪違憲」裁判を中心に、レポートを送ろうと思う。
この訴訟の大筋だが、平たく言うと、「なぜ海外在住者に対する国政参加におい
て、比例代表の投票権を認めておきながら、小選挙区制の選挙権行使に関しては認めないのか」、「これは憲法上、基本的人権を侵すことにならないのか」、そのことを問う裁判である。
結果は全面敗訴で終わった。原告側としてはこのままここで引き下がるわけにはいかず、さっそく記者会見を開いて、在外日本人選挙権剥奪違憲訴訟判決に対する遺憾の声明「われわれ在外日本人が本訴訟を提訴して以降、国会が公職選挙法を改正し、比例区に限って海外在住日本人でも投票できるよう制度を改めた事実は、立法府が事実上本違憲状態を認めている」を発表し、直ちに控訴に踏み切ることにした。
このどう見ても不条理な判決だが、なぜこのような結果に至ったのか。聞くところによると、そもそもこのような違憲訴訟に関する裁判の場合、ほとんど地方裁判所サイドでは正当な判決を得られないまま先送りされて、次の高裁でその判決を仰ぐケースが多いという。要するに裁判官といえど人の子、地方裁判所任官の裁判官は若い裁判官が多く、こうした違憲問題に関する判決は下手をするとその出世を妨げる要因になりかねないというので、一種の責任逃れとも思われる判決が通例となっているというのだ。
しかし、こうした傾向は何も裁判に限ったことではなく、10月31日に放映された「報道2001」や「日曜討論」のテーマで取り上げられた介護保険や教育改革問題にも共通の兆候を垣間見る事ができる。その結果問題を更に肥大化してしまい、手遅れとなってどこから手をつけていいものやらお手上げ状態のまま、結局目に見える局部的な部分のみにメスを入れるだけで大手術には至らない。
ではなぜこのような結果を招いてしまったのか。その主な理由は2つあると思われる。
1つは、戦後日本では頻繁なトップ交替=首の挿げ替えによりリーダー不在の現象を生み、社会全体に無責任体制が横行し常識化してしまったこと。上は首相から下は海外等の出先機関の外交官に至るまで、その任務期間はせいぜい平均2年どまり。いきおい仕事も腰掛け的で、長期スパンで政策及び作業に取り組む事ができす、せっかく優れたリーダーが排出してもその力量が充分に発揮できない。このロスは大きい。特に海外で「日本国外交には“顔”が見えない」という批判と苦情が持ち込まれるのは、日本の“顔”であるはずの首相を始め主要閣僚の頻繁な交代にあり、その都度仕事が中断され、最初から仕切り直すという無駄な作業が繰り返されるからで、これでは各国との信頼関係の絆など築かれるはずがない。
ドイツのコール政権のように16年とはいわないまでも、少なくとも一内閣につき4年〜5年の任務期間が必要であり、それが不可能な場合は部分的に、主要4閣僚(外務大臣、大蔵大臣、通産大臣、防衛庁長官)、さらには主要(米・英・仏・ロ・中)出先機関の大使や総領事の任務期間だけでも、そうした長期任務の配慮と融通性が必要である。
2つは、戦後の高度経済成長の担い手は男性であり、弱者の女性、少数派の在外日本人の多くは切り捨てられたこと。女性は政治は無論のこと経済でも男性の労働力に依存しひたすらその裏方として下積み作業に甘んじてきた。しかも、既に欧米主要諸国ではこれら女性や少数派が下積み状況から解放され、めざましい社会進出の機会に属しているというのに、日本では今も男性中心で社会を構築し、彼ら(女性や在外日本人)の出番を封じている。「報道2001」や「日曜討論」の制作者には悪いが、介護保険や教育問題討論が、主役であるはずの女性抜きで行なわれたり、在外日本人の国政参加が比例選挙のみという片手落ち政策になっていることは、この何よりの証拠といっていい。
今やその“つけ”が家族崩壊(=女性の非婚に伴う少子化傾向)、学校教育崩壊(=会社の多忙を理由に母親のみに子供の教育を一任)であり、実は日本の国際化の立ち遅れ(=在外日本人排除風潮を含む)となって返ってきている。
まず日本はこうした根本的な問題を問いただすことから始めることであろう。そうしない限り、今取り組んでいる介護保険や教育計画はおろか、今後取り組む諸種の問題も、新しい21世紀という幕開けと共にたちまち「壁」に突き当たってしまうに違いない。
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発行 小学館
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