weekly business SAPIO 99/11/11号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《日本滞在で感じた「まず新聞が変わらなければ日本の政治は変わらない」》


今回は先週に続いて、ドイツのシュレーダー訪日に関し、一つは11月1日夕方7時首相官邸におけるシュレーダー首相歓迎晩餐会に小渕首相の招待を受け出席したその感想、二つは翌日2日午後2時日比谷の記者クラブで行なわれたシュレーダー記者会見の顛末についてレポートしてみようと思う。

 シュレーダー首相歓迎晩餐会の招待状には「6時45分までに、平服でお出かけ下さい」との但し書きがあって、着物やパーテイドレスだと困ると思っていたから、この辺は実にドイツ的で、ほっとした。
 この招待では、共産党の不破哲三委員長や社民党土井たか子委員長まで姿を見せていたところから、シュレーダー政権が社民党・緑の党による連立政権であるというドイツの政治事情に合わせ、幅広い顔ぶれの出席を求めた小渕首相一流の痒いところに手が届く気配りと苦心がみられた。更に驚いたのは、ドイツのシュレーダーに同行してきた議員や経済代表はさておき、日本側の顔ぶれの豪華だったことだ。
現役として第一線で活躍している大物政治家とや財界のトップやかつてドイツにおいてベテラン外交官として鳴らした大物がズラリと顔を揃えていた。

 ということは、最近、日本の政界や財界の中に、戦後半世紀という時を経て、ようやくこれまでのアメリカべったりの政治と経済路線の見直しムードが広がり、少しはヨーロッパとくにドイツに見習ってみようという機運が高まってきたいると見ていい。
事実、橋本総理退陣後のこれまでの小渕内閣の軌跡を振り返って見ると、それとなくドイツ流政治方式が日本の政治に導入されつつあることに気がつく。ではその日本はドイツからどのような政治形態を導入しようとしているだろうか。思いつくままに記述するとこうだ。

1. 元来ドイツの政治は“名より実”を優先してきた。小渕首相誕生以後、最近ではその典型的な政治家としてコール前首相が挙げられる。実はそのコールの人柄である誠実さ、謙虚さ、生真面目さ、人の好さといったものが妙に小渕首相の人柄と折り重なり共通点を発見することだ。コール前首相時の功績といえば、「ベルリンの壁」崩壊直後1年以内のドイツ統一達成であり、21世紀直前におけるユーロ導入である。そのコール前首相と世界史に残る功績と比較するにはスケールが小さいとはいえ、小渕首相もまた、日の丸・国歌の法制化,通信傍受法導入という、ある意味では戦後政治のタブーに風穴を開けたことで、21世紀における日本の政治路線に道を開けようとしている。

2. 戦後のドイツ政治形態の特徴は連立政権にある。ボンにおける戦後の議会民主政治が実施されたのは1949年でこのときキリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟による連立政権でアデナウアーが首相に選出された。それ以後今日まで、ドイツではこの連立政治形態がドイツ政治の基盤になっている。
 そのドイツの政治にならって最近日本でも自民党過半数割れをきっかけとして連立内閣制が定着しつつある。

3. 短時間ながら、政界の幾人かと話して気がついたことは、遅まきながら、これまでの日本=選挙区だけに向ける政治から、その視点を世界に向けつつあることだ。ある政治家は「これまでは首相の地位といえば権力欲にとりつかれた大物政治家の最高の勲章に過ぎず、そのために首相の地位とは就任と同時に引きずり落とし、新しい首を据えることにあった。だが、小渕内閣成立以後、成立したからにはこの内閣を少しでも背後から支えていこう、同時に国際的な立場に立って、日本が少しでも有利な外交ができるように“顔の見える政治”をしようという傾向に変わりつつある。こうした傾向はこれまでついぞ見られなかった現象だ」というのである。ウラを返せば、それだけ選挙民の政治に対する目が厳しくなり、与党とはいえいつ政権脱落というという状況に置かれるか、うかうかしていられないとその危機感を敏感に感じとっているということでもある。
 余談だが、そうでなければ、名も実もない私が歓迎晩餐会に招待されたばかりか、その最中、突然秘書官の呼び出しで真正面の席へ進み、小渕首相とシュレーダー首相の間に立って5分ほど歓談するという機会など訪れなかったろう。

 こうした小渕首相の気配りで、シュレーダー首相があの透き通るような碧眼を輝かせ、ほんの一瞬だったがリラックスした(のを見落とさなかった)。これもまた新しい小渕外交の一つであり、こうすることでしきりにシュレーダーに親愛のメッセージを送ろうとしていたといっていいのかもしれない。
 いずれにしろ日本の政治もことここにいたって,少しずつ戦後政治からの脱皮の時期に来ており、第一線の立場にあるだけに、彼らこそが今最もそのことを痛切に感じとっているのだろう。

 もっともその一方で、残念なことにこうした政治の転換を妨げ、逆に日本のウチ向き政治のつっかい棒として下から支えているのが実は日本のマスコミであることを、今回思い知らされた。
 そのいきさつに関しても記述しておこうと思う。

 歓迎晩餐会の翌日11月2日午後2時15分から日比谷の日本人記者クラブで、シュレーダー首相の記者会見が行なわれることはドイツですでに聞いて知っていた。だからその記者会見に出席しようと、日本到着と同時にその旨、電話で申し込もうとしたところ、「日本記者クラブ会員でないものは記者会見には出席できない」というのだ。そんなはずはないとあちらこちらに電話して、やっとある人物を通す事で出席を許された。ところが「質問は控えてほしい」というのである。このことは当日受付でも、「質問は差し控えるように」と念を押されてしまった。
 こんな目に遇うのは今回が初めてである。なぜなら、欧州ではいつどこへいっても、ジャーナリスト証を提示するなり、重要な会談(例えばサミット首脳会談)でも承諾許可書をそれなりの手続で取りさえすれば、どのような記者会見にも臨むことでできるだけでなく、質問も自由である。「質問をさし控えろ」と釘をさされたことなど一度もないのだ。
 どうしても納得がいかなかったので、32年もの間、日本で特派員をしている「南ドイツ新聞」のヒルシャー氏に尋ねてみたところ、「ドイツとインターナショナルの記者証を持っている限り、日本の記者クラブからそのようなことをいわれる筋合いはない。堂々と質問してください」という。というわけで、よほど安全保障問題について質問してみようかと思ったが、「質問しない」と約束したこともあって今回は黙って引き下がることにした。

 その日本の記者クラブといえば、聞くところによると、新聞社所属の新聞記者による秘密クラブに近く、雑誌記者などには会員の資格を与えないという。雑誌記者も記者会見の参加を許されることはあるが、その場合、前の方の席はすでに新聞記者に占領されて、雑誌記者は後方で小さくなって記者会見に臨むのが常道だという

道理で日本の新聞記事がなぜ横並びなのか、その理由がわかった。それにこのような閉鎖的な新聞記者特権意識こそが、日本の政治の低迷に手を貸している。またそう糾弾されても反論の余地はないだろう。
 大蔵省を護送船団とたたいた日本のマスコミだが、そのマスコミ自らその中にどっぷりとつかって、排他的気風を作り上げている。まずその日本のマスコミこそが、言論の自由のために、特権階級の壁を取り外すべきであり、その壁を取り外すことからスタートして日本の政治を変えていく努力をすべきだと私は思う。

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