weekly business SAPIO 99/10/7号
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クライン孝子 TAKAKO KLEIN
《東海村放射能漏れ原発事故でまたも露呈した日本の危機管理能力と世界への責務の欠如》
9月30日は、好悪分け目、実に対照的な日となった。
日本では11年ぶりで中日ドラゴンズ(ふるさとが岐阜であるため、私は中日ファンである)が優勝し、また、ドイツではギュンター・グラスという作家(作品『ブリキの太鼓』で一躍世界的な作家として名声を博した)が27年ぶりでノーベル文学賞を獲得した。その喜びに浸っていた矢先、突如飛び込んできたのがメキシコ地震であり、東海村臨界原発事故だった。
さっそく、この東海村の放射能漏れ原発事故について、終始一貫して反核エネルギーを提唱してきたギュンター・グラスは、ここぞとばかり、受賞決定記者会見を前に「核エネルギーは一瞬にして生きとし生きる物を地獄に落としてしまう凶器だ。今後は太陽エネルギーなどエネルギーの切り替えに全力を挙げるべきである」と語った。
この作家グラスのメッセージに追随するかのように、ドイツではその後、この事件が次々とテレビやラジオ、各新聞で大きく取り上げられた。
その論点をまとめると次のようになる。
1. 70年初めのオイルショックをきっかけとして、資源の乏しい日本が急遽核エネルギー重視策に切り替え、現在その核エネルギーのエネルギー全体に占める比率は33パーセント。2010年にはさらにその比率は増し、40パーセントを見込んでいる。そのためにすでに150億ドルもの莫大な資金を投じた。つまり、後戻りのできない状況である。だが、現時点では世界の核エネルギー対策は縮小の方向にある。にもかかわらず、日本は逆に核エネルギーヘの依存度強化に余念がない。第二次世界大戦中、世界最初の被爆国となった日本の、平和利用という名を借りた原子爆弾と表裏一体にある再処理工場を含めた原子炉建設狂奔は、その政策と矛盾する。この事故をきっかけとして、そろそろ太陽エネルギーなど安全なエネルギー開発に力を注ぐべきであり、また仮にもしそういう安全なエネルギー開発に尽力しているのであれば、その事実を世界に向け明確に公表すべきである。
2. このところ、トルコ地震をはじめ台湾やメキシコなどで地震が多発している。日本列島も環太平洋地震帯に位置し、いつ地震が起っても不思議ではない。その地震国日本にあって、無差別な原発建設は自殺行為に等しい。しかもチェルノブイリ原発事故における放射能拡散では、その悲惨な事態はソ連一国に留まらず、欧州諸国を巻き込んでしまい、震撼させた。日本がその二の舞を踏まないとは限らない。そういう意味で、日本はこれをきっかけとして世界の中での責務という自覚に一日も早く目覚めるべきである。
3. 戦後「技術大国神話」で浮かれていた日本が阪神大震災でその鼻をへし折られたのは周知の事実で、今回は日本の原子力における「安全神話」に亀裂が入った。しかも前者と後者に共通するウイークポイントは危機管理の拙劣さであり、今回もその拙劣さが露呈されたことになる。例えば、東海村が原子の村としてスタートしたのは1957年である。ところが、ここ30年間で原子力事故非常事態訓練は6回しか行なわれていなかった。ちなみに最近の訓練は1991年11月に行なわれただけで、参加者は200名以下だった。つまり、政府と直接その管理に携わっている関係者を含め、一般市民のこうした非常事態訓練に対する関心は、原子力に対する無知と同様で、その自覚は驚くほど希薄である。21世紀が宗教対立による地域紛争、それに準じた組織的テロ(テロリストによる原子力設備の占拠という非常事態)で幕開けしようとする時、こうした日本の危機管理欠陥は時として日本国の命取りにさえなりかねない上、世界の安寧秩序をも脅かしかねない。そういう意味で日本はその危機管理と対策に十分に注意を払う必要がある。
こうしたドイツの、日本人にとっては神経過敏と思われる核エネルギーに対するアレルギー反応(今回の日本における原発事故を憂慮し、ドイツでは早速570名におよぶ学者がドイツ政府即時脱原発をアピールした)だが、なぜそうなのか。ドイツ人は身をもって核の恐ろしさを熟知しているからだ。
それには次のような理由を挙げられる。
1. ドイツは第二次世界大戦前まで核開発において世界一と目されてきた。とくに皇帝ウィルヘルム二世の提唱で1911年に創立された「ウィルヘルム皇帝研究所」からは次々と優れた物理学者が輩出された。核兵器製造のヒントとなった「核分裂」を理論物理学的に証明したのは1944年、ノーベル賞を授与されたオットー・ハーン博士だが、ハーン博士を含むドイツ理論物理学者10人のグループ(ワイツゼッカー元大統領の兄カール・フリードリッヒ・ワイツゼッカー博士もその一人)は、この核エネルギーの後世に与える影響と恐怖を予知し、最終的には核兵器製造を断念したといわれている。その物理学者たちの基本姿勢は、たとえ核の平和利用であれ、戦後になっても一度も揺らぐことなく常に核の恐怖を伝えて憚らなかった。その延長線で1979年、環境保護に主点をおくグループ=緑の党が旗揚げし、直接政治参加を図って全国的に脱原発運動を展開した上、今回のシュレーダー政権では連立政権の一翼を担い、その方向をいっそう明確にした。
2. フランスは原発のメッカといわれているが、その原発の大半はドイツとフランスの国境近くで、しかもドイツに向け、いつでも核兵器に変身できるように建設されている。しかこうした中で、1986年4月26日午前1時20分ごろ、旧ソ連・チェルノブイリ原発爆発事故が発生し、広島原爆の約400倍の放射能が放出された。ドイツ各地で放射能を含んだ雨が降ったり、強い放射能が検出されるなど、第二次、三次被害が続出し、一時はパニック状態になった。
というわけで、これは日本人にとっても決して他人事ではない。何よりも今回の東海村の事故はそのいい教訓となった。今後政府や経済界は21世紀に向けて、核エネルギーに対する段階的な見直しを行なうことで、新エネルギー(太陽エネルギー開発など)産業の開拓やその安全産業おこしに本腰を入れるべきであろう。
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発行 小学館
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