weekly business SAPIO 98/10/15号
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クライン孝子 TAKAKO KLEIN
◆「戦争の歴史」に終止符を打ったドイツがユーロから「日韓新時代」を見守っている◆
10月8日は、東西ともに珍しく(偶然とはいえ)、歴史的な事件が重なった。
先ず極東アジアでは、長年、日韓関係が修復された。韓国の金大中大統領が国賓とし訪日し、10月8日、「二十一世紀に向けた新しい日韓パートナーシップに関する共同宣言」が発表されたからである。
この一件はドイツをはじめ欧州でも大々的に報道された。
欧州が数百年にわたって繰り返してきた戦争の歴史に終止符を打ち、EUという形でまとまり、21世紀にはユーロという共通の通貨を持つまでに至っているなか、ようやくアジア地域でも、その兆しが極東でも出てきたという論調である。
とりわけこの両国は、第二次世界大戦後、アメリカと常に緊密な関係を維持してきただけに、欧米諸国にとっては大歓迎である。新聞やテレビでは好意的な報道を行っている。
そのきっかけだが、ドイツの新聞では次ぎのように分析している。
1)今回のアジア危機で、韓国は自国の実力がいかに微力であるか、見せつけられた。
2)一方日本も、世界有数の経済大国とはいえ、一国突出は許されないこと、つまり、アメリカのバックアップや欧州との協調体制なしには日本経済の発展は難しい。
3)と同時にアジア、とりわけ日本は北朝鮮の三陸沖ミサイル発射事件を前に最も近い距離にある韓国との友好関係の重要性を痛感することになった。
そして、2002年日韓合同で開催されるサッカーのワールドカップを例にあげ、スポーツを通して日韓友好関係がいっそう緊密になるとして、こうした決定を下したサッカー協会の英断を称えている。
その欧米諸国の次の狙いは、この日韓の和解をきっかけとして、両国が中国を取りこみ、北朝鮮崩壊の足を早めることか。
暴走列車同様の北朝鮮である。この国がミサイルを所有するだけでなく、核兵器製造疑惑まで浮上しているというのだから、自由主義を標榜するアメリカをはじめ欧米諸国としては(もちろん日本や韓国にとっても)、危険極まりない。
もっとも、その北朝鮮崩壊が現実化したらどうなるか。さしあたり、その後始末のリスクは日本が負う羽目になるのだろう。
そう思うのはドイツの冷戦後の立場がまさにそうだったからで、矢面に立たされたドイツは、東欧諸国をロシアから解放するために、身を粉にしてロシアとの関係をクリアしてきたからだ。
とはいえ、問題は今も山積したままである。
当面、早急に解決しなければならない問題はコソボ紛争である。「回避」という結果に終わってしまったが、実はこのたびの空爆がそのチャンスでもあった。
そのドイツの真意を付度すると、実は軍事介入によって一刻も早くこの紛争に決着をつけたいというのが本音だったのだ。
その最大の理由は難民問題である。事実この紛争を契機に、ドイツにコソボとユーゴ両国の何十万人もの難民が、押し寄せはじめたからだ。あわや空爆かという事態の上に、真冬を迎えるこれからの時期はとくに多くなりそうな気配だった。
ドイツはボスニア紛争中、32万人もの難民を引き受けた(EU中最大の難民受け入れ国)。紛争終焉後、ようやく20万人の難民が故国に引き揚げ、一息ついたその矢先、またも難民問題で頭を痛めることになった。
ボスニア紛争時には傍観していた英国やフランスも、今回だけはドイツに同情し、積極的に手を貸す気でいた。ユーゴとコソボにおいて米国特使ホルブルックによる調停が行われる中、10月8日にはEUサンティール委員長もモスクワに飛び、プリマコフ首相に対して、粘り強い説得工作を行っている。
欧米諸国を窮地に貶めようとするユーゴの、後方支援を行っているロシアの意図は明快だ。ソ連解体後、後退に次ぐ後退でユーゴを除く全東欧諸国がNATOの傘下に下ってしまった今、ロシアにとってユーゴは唯一の同士である。
ボスニア紛争終焉後、今度はコソボ紛争により、西側を撹乱しようと目論でいる。
往年の勢力を失ってしまったロシアにとって、その最後の砦であり味方がユーゴなのである。
あくまでも、対話による交渉を続けるとしながらも、NATO軍のユーゴ空爆が秒読みに入っていた10月8日から9日にかけて、その緊急事態に備え、ドイツは駐ユーゴ大使館員の家族をブダペストに緊急避難させた。次いでユーゴに滞在中のドイツ人には、早急にユーゴを去るよう警告を出した。このコソボ紛争での軍事介入で、ドイツは14機のトーネード戦闘機と500人の戦闘員参加を明らかにしていたことからも、いかにドイツが今回の空爆に“期待”をかけていたかが伺いしれよう。
こうした中で、ドイツ次期首相シュレーダーは、10月8日夕刻にワシントンへ発っている。9月27日総選挙直後、社民党勝利のニュースを知ったクリントン大統領が電話でシュレーダー次期首相の訪米を要請し、その日を10月9日と指定してきたからである。
その際、シュレーダーは外相候補フィッシャーを同伴し、クリントン大統領に引き合わせることにした。
それには次ぎのような理由が挙がっている。
緑の党と連立を組む社民党としては、いち早く外相候補フィッシャーをクリントン大統領に紹介することで、緑の党(この党は、基本的にコソボ紛争を軍事介入によって解決することに反対している)といえど、現実にそった外交路線の遂行を強く印象づけようとした。その一方で、外相候補フィッシャーに対しては一刻も早くクリントン大統領と面識になることで、現実外交の重要性を認識させようとした。フィッシャーもその点基本的に同意したといわれる。
というわけで、どうやら20世紀もあとわずか1年余りの1998年10月8日を基点として、東では日本、西ではドイツを中心に来る21世紀の幕開けを暗示し予測するに十分な出来事が起こりつつあるようである。
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発行 小学館
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