weekly business SAPIO 2000/8/3号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO □■□■□■□
                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《コンコルド墜落事故で再認識した独・仏・英の迅速な危機対応策》


 2005年の愛知万博の基本計画が7月24日にまとまったという。
 一方、当地ドイツではハノーバー万博の真っ最中。偶然とはいえ、愛知万博の基本計画がまとまった翌日25日は日本のナショナルデイに当たっており、日本からも大勢の関係者が詰め掛け、イベントが行なわれることになっていた。
 だが、今回そこで行なわれるはずだったせっかくの出し物を、半分台無しにしてしまう事態が起きた。

 恒例の万博で日本館の最大のスポンサーは日本財団であり、そのナショナルデイには日本財団会長の曽野綾子氏による演説が予定されていた。流暢に英語を操る氏は、今回はドイツ語圏だからとドイツ語による演説を用意するべく張り切っていた。
 しかもハノーバー万博の総裁は女性が務めており、日独大物女性二人の顔合わせには、大きな期待が寄せられていた。だが、最終的には実現不可能になってしまったのだ。

 理由は以下の通り。
 まず、皇太后のご逝去に伴い、日本政府から「この際晴れがましい行事を慎むように」との通達が入った。しかしそれから数日経た後、「皇太后ご逝去と海外における行事を混同する必要はない」という世論の非難に押され、またぞろナショナルデイのイベント復活がむし返され、ただちに曽野会長にも伝えられた。
 ところが、曽野氏は日本財団の会長職を始め、精力的な作家活動、政府の要請による各種委員と秒刻みのスケジュールに追われている。ナショナルデイ中止の通達と同時に、別の仕事が山のように入って来てしまっていた。
 氏は「自分はいったん引き受けたとなると、高熱が出ても、約束を破ったことがない。このナショナルデイの仕事でもそのつもりだった。ところがキャンセルになった途端に次の仕事が入り身動きができなくなってしまった。その仕事を反古にして、ナショナルデイの仕事にまた戻れと言われても引き受けようがない」という。
 これはもっともな話で、曽野氏の都合には全く配慮せずに、依頼したり断ったりまた依頼し直すなど、非常識というしかない。
 しかもトップに近い役人ときたら、責任逃れの弁舌だけは巧みで、今回のいきさつに関する氏の質問に明確な回答を寄こさなかったというのだから、呆れ返った話である。

 というわけで、結局曽野氏はハノーバー・ナショナルデイを素通りして、フランクフルトから直接ベルリンへ入り、その後はミラノに飛び、氏の作品『レクイエム』のイタリア演奏会に主賓として出席するという正真正銘のプライベート取材旅行に終始した。
 その旅行に私も同行することになったのだ。
 ところが、うきうきしてベルリンに入った途端、急遽その予定の一部を変更しなければならない事態が起こった。日本でも大々的に報道されたように、25日夕方16時31分、パリ郊外で超音速機コンコルドが墜落し、乗客・乗員109人、それに付近にいた5人が巻き添えを食って死亡する大惨事が起きたからである。

 しかも乗客・乗員のうち100人(うち子供3人)はドイツ人だったのだ。彼らは休暇のためドイツ旅行会社のチャーター便でニューヨークへ向かう途中で、ニューヨークではすでに到着していた410人(午前のコンコルド便で33人、普通の飛行機便で377人)と合流し、豪華客船“MS Deutschland=夢の船”で、パナマ運河を通過し、オリンピック開催地のシドニーまで14日間の航海を楽しむはずだった。1人約2万6000マルクの豪華休暇は、一転悲劇になってしまったのである。

 さっそく、ドイツでは次のような対策を練り、被害者対策に乗り出した。

1. 事故1時間後に、外務省内では危機対策管理部を30人スタッフで整え、現地の状況をパリのドイツ大使館とドイツの関係旅行会社と連絡をとりつつ、犠牲者の家族に情報を流し,心理的な打撃を受けた被害者家族のケアを始めた。

2. 事故直後、ドイツ連邦交通相が現地に飛び、確かな情報を把握するや、その3時間後には、80遺体については身元が確認され、あとの20遺体については残念なことに、身元確認が不可能だったことをテレビを通して全ドイツ人に報告した。

3. 本来なら、万博会場に閣僚や州首相を一同に集め、万博赤字対策の討議を予定していたいシュレーダー首相だが、急遽その会場を追悼ミサの場として使用し、犠牲者追悼演説を行なった。

4. 犠牲者を弔うために、ドイツ全国いっせいに、半旗を翻すことにした。

 一方フランスでは、

1. 犠牲者の家族の現場到着を待って、シラク大統領出席の追悼ミサを行なった。

2. 犠牲者の家族の現場への交通手段や投宿など費用を一切負担し、即時補償金として、とりあえず1人につき4万2000マルクを支払うと約束した。

 さらにイギリスでも、ちょうどこの時期、世界一の航空ショーが開催されていたので、

1. 航空ショーではためく国旗を全て半旗とした。

2. コンコルド機関連企業で、即刻救援活動チームを作り現地へ派遣、犠牲者後始末作業に当るとともに、原因究明のために調査団を送った。

 多くの犠牲者を出してしまったドイツはさておき、フランスとイギリスの両国が、なぜこのような至れり尽せりの事故対策作業を行なったのか。
 理由は二つある。

 一つ目。パリからニューヨークまで3時間半という超速を誇るコンコルドは、特にビジネスマンに重宝がられてきた。グローバル化が進み、ヨーロッパと北米との間でダイムラー・クライスラーに代表されるような合併劇が急速に進んだ背景に、この超スピード化したコンコルド機の存在があることを見逃してはならない。反面、常に環境問題の敵として、コスト高、燃料の浪費、騒音という問題を抱え、一般市民の非難の目にさらされ、マイナスイメージが付きまとっている。

 二つ目。そのイメージアップとして、「早さ」に加えて「安全性」を売り物にし、特定のトップクラスのビジネスマンだけでなく、一般市民を対象に旅行会社とタイアップしてツアーを組み、顧客拡大に乗りだしていた。このツアーに合わせてチャーター機を出すことにしたのも、イギリスでは、先述したように、世界一の航空ショーが開催されており、この機を絶好のチャンスと捉えていたからである。

 その矢先の大事故だった。それだけに関係者の失望は大きいが、事故処理と救援活動に全力を投入することで、マイナスイメージの定着を防ごうとしたのだろう。

 しかしそれにしても、こうしたウラ事情があるにしろ、このような事故の際の欧米の迅速かつ完璧な危機対応策は脱帽ものである。日本も見習う必要があろう。

 今一つ特筆しておきたいのは、プライバシーに関する一件である。恐らくこうした事故が起きた際、日本のマスコミだと、プライバシー侵害も何のその、犠牲者割りだしに狂奔する光景を展開するにちがいない。
 一方、ドイツではそういうプライバシーに関わる問題には敏感で、一切追求しない慣例がある。今回連邦農相の妻が犠牲になり、ほんの一瞬、マイクを向けられたが、
「自分は今悲しみのどん底にあるのでそっとしておいてほしい」という発言を潮に、カメラの角度はさっと別のほうに向けられた。
 もっとも今回、ドイツでは初めて、日本のスポーツ新聞に該当する「ビルト」紙が犠牲者全員の顔写真と名前を掲載し、轟々たる非難を浴びてしまった。そのことも付け加えておこうと思う。


--------------------------------------------------------------------------
発行 小学館
Copyright(C), 2000 Shogakukan.
All rights reserved.
weekly business SAPIO に掲載された記事を許可なく転載することを禁じます。
------------------------------------------------- weekly business SAPIO --

戻る