weekly business SAPIO 2000/7/13号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO
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クライン孝子 TAKAKO KLEIN
《2006年サッカーW杯開催がドイツに決まるまでの「英独攻防戦」の舞台裏》
スポーツと政治や経済が密着していることは、スポーツの歴史をひもとけば歴然としている。古くはオリンピック競技の発祥地ギリシアの例、新しいところでは、1980年のモスクワオリンピックでの西側ボイコットの例など……。
特に情報通信綱の発達により、スポーツのグローバル化が急速に進む現代では、その政治的経済的メリットは計り知れないといわれている。それだけに、大スポーツイベントの開催地決定を巡っては、熾烈なつばぜり合いが展開される。最終的にはその国の政治や経済、それに見合った国際信用が、その開催地決定のバロメーターになるのだが。
国際スポーツにおける横綱的な存在はオリンピックといわれてきた。今年、そのオリンピックはシドニーで開催される。この開催地決定では、中国が最後まで執拗に食い下がっていた。結局、中国がその選から漏れたのは、世界の政治・経済的、さらにはこの国の国際的信頼という観点から見て、時期尚早であることが誰の目にも明らかだったからに違いない。
さて「スポーツの祭典」オリンピックに迫る国際的スポーツといえば、何といってもサッカーのワールドカップである。
7月6日、ドイツが2006年のワールドカップ開催国に決まった。
今回はそのサッカー・ワールドカップ開催地を巡り、政治や経済、そして国民をも巻き込んで展開された独・英の誘致合戦についてレポートしてみようと思う。
このワールドカップの2002年までの開催地を大陸別に列記すると、ヨーロッパ8回(うちフランスとイタリアは2回)、南米=ラテンアメリカ6回(うちメキシコが2回)、北米1回(アメリカ)、アジア1回(日韓共同開催)である。
このような事情もあって、ドイツが第18回ワールドカップ開催候補国として、初名乗りを挙げた1993年6月2日当時は、
1. 次はアフリカ大陸での開催という呼び声が高く、1995年12月11日、国際サッカー連盟(FIFA)会長ジョアン・アベランジェ(当時)は、パリで開催された会議の挨拶で、「2006年の開催地は南アフリカに決まるだろう」と予告していた。
2. その一方で、もし2006年にヨーロッパで開催されるとしたら、ドイツが最有力だといわれていた。大国の内、既にフランスとイタリアは2回ずつ開催しているし、ドイツとイングランドはそれぞれ1回の開催だが、イングランドは1996年のヨーロッパ選手権の開催地に指定されていたからである。
ところがここから話がややこしくなった。
1. 何が何でも2006年のワールドカップを開催したいと思っていたイングランドが、1996年のイングランドでの欧州選手権終了直後に、ドイツに対し、「2006年ワールドカップを、2002年日韓ワールドカップ同様、英独共同で開催しないか」と話を持ち掛けたのだ。当然ながらドイツは虫のいい誘いだとして拒否してしまった。
2. こうした中で、ヨーロッパ・サッカー連盟は1997年2月5日、リスボンでのヨーロッパ・サッカー連盟会議で、ヨーロッパの票割れを避けるため開催候補地をドイツ一本に絞ると決めた。
3. 早速、イングランドは反撃を開始した。1週間後の1997年2月12日、当時の英国首相メージャーが、開催誘致キャンペーン費2600万マルクを準備し、独自で開催誘致を行なうと宣言したのである。
4. 一方、ドイツ・サッカー連盟では、3月27日、フランツ・ベッケンバウアーをドイツ・サッカー連盟のワールドカップ大使に任命。1998年9月には8社からなるスポンサーにより2000万マルクを捻出し、「この支援金で全ドイツは頑張ろう」キャンペーンを打ち出すことにした。
5. 1999年4月30日、開催候補地としてドイツ、イングランド、ブラジル、南アフリカ、モロッコが残る。
6. 2000年7月3日、ブラジルが1票を南アフリカに投じるとして、候補を取り下げる。
7. 2000年7月6日、投票の結果、イングランド、モロッコが相次いで落選。
8. 同日14時7分、FIFAのゼップ・ブラッター会長より、ドイツと南アフリカとの決選投票の結果、12対11(棄権1)の僅差で、ドイツに2006年のワールドカップ開催決定が下された。
以下に成功の要因を述べる。
1. イングランドの身勝手さに腹を立てた他のヨーロッパ諸国がドイツ支援に回ったこと。1998年2月には、イングランドの剥き出しの対抗意識に閉口したベッケンバウアーは、「南アフリカはワールドカップ開催地としてはインフラ整備が不充分で、どう見てもまだ機は熟していない。それなのに、このまま英独誘致合戦がエスカレートしては、ヨーロッパは共倒れになる」との悲観的なコメントを出している。
これに対し、ヨーロッパ・サッカー連盟会長であり、同時にFIFA委員でもあるスウェーデンのレナート・ヨハンソン氏は、「であるからこそ、ドイツにとって絶好のチャンスなのだ。頑張りなさい」と声援を送っている。
2. ドイツ政府もベッケンバウアー支援を惜しまなかったこと。1998年11月には、コールから政権を引き継いだ新首相シュレーダーが、ドイツ・サッカー連盟の役員と頻繁に会い、ドイツ開催キャンペーンに積極的に手を貸すと約束している。
その証拠に、開催地最終決定の前後には、シュレーダー首相、シリ−内務相、テニスの元世界王者ボリス・ベッカーが、FIFA本部のあるチュ−リッヒに飛び、ドイツ代表団に檄を飛ばしている。
3.ドイツワールドカップ開催誘致キャンペーン大使ベッケンバウアーの過去の実績にとらわれないそのしなやかで洗練された外交術が買われたこと。
フランツ・ベッケンバウアーといえば、ドイツでは“サッカーの皇帝”といわれ、圧倒的な人気のあるカリスマ性を備えた人物だ。今回その人物が、2度目のドイツ・ワールドカップ開催誘致の中心人物として主役を演じ、みごとその目的を果たした。
彼は、1974年のワールドカップでは開催国ドイツの代表選手として活躍し優勝を遂げ、1990年のイタリアワールドカップでは監督として登場しドイツを優勝に導いた世界的に実績のある人物であり、世界中のサッカー関係者の誰一人として知らぬ者はいないほどの名声を得ている。
しかも、彼には、過去の栄光にすがって威張ったり権威ぶったりしない気さくな人柄があり、その性格が、彼と関わった関係者の心を捉えることになった。
そのベッケンバウアーは開催地決定直後、南アフリカの代表団と挨拶を交わし、早速「2010年には南アフリカ開催に尽力するから気を落とさないで欲しい」と労いの声を掛け、南アフリカ代表団を感激させている。
最終的にはこういった「気配り」を持った対応のあるなしが、開催地決定判断の決め手となり、ドイツに軍配が上がり、イングランドを落選に追い込んだともいわれている。
しかも決定的だったのは、ワールドカップ開催地最終決定選の直前、ベルギーで開催された欧州選手権で、イギリスのフーリガンが暴徒化して多数の逮捕者を出し、国外追放に遭ったことだった。
さてその経済メリットだが、このドイツにおけるワールドカップ開催で、ドイツは当面46億マルクの収入を見込んでいる。
優勝戦はベルリンの元オリンピック競技場と決めており、すでに5億5000万マルクを掛けて改修工事が始まっている。因みにワールドカップには260万〜310万人の観客(うち外国人85万人)を見込んでおり、開催中、1人のサッカーファンがドイツに滞在する平均日数は10日で、彼らがドイツに落としていくカネは8億〜15億マルクと見積もっている。
ついでながら、そのベルリンでは7月8日、中心地ブランデンブルグ門周辺で「ラブ・パレード」が行なわれた。毎年この時期に行なわれる若者のパレードで、ほとんど裸に近い男女が足のつま先から頭のてっぺんまで、色とりどりの落書きをして通りを練り歩くイベントである。今年の参加者は約120万人。全国各地から特別列車が53本も仕立てられ集まってくる。通りの左右には広大な動物公園があるが、そこで彼らが放尿する量は何と80万リットルである。まるでいもを洗うようで、パニックが起きたら収拾がつかないと思うのに、なぜか事故といえば、今年は一回ボヤがあったきりである。
動員される警察官はたったの4000人のみ。
この大胆かつ奇抜なイベントで、ベルリン市にはたった1日で、億というカネが転がり込んできた。
一方、同日、日本では福岡で蔵相会議が開催された。テレビで見た限りでは、どこもかしこも厳重な警戒態勢が取られ、付近の商店では客足がパッタリと途絶え、商店主が渋い表情をしているのが映し出されていた。なぜ、日本ではこうした国際会議というと一般市民を遠ざけて、必要以上の厳戒態勢が取られるのだろう。言葉をかえていえば、それほど為政者は国民を信用していないことではないのか。本来ならこういう機会を捕えて積極的に市民と世界の代表者との交流を試むことで、消費を見込んで経済活性化を図ることもできるというのに。
ちなみに昨年のドイツサミット蔵相会議はフランクフルトで開催された。そこでは会場でもその周辺でも、ほんの数人の警察官を乗せた警察のワゴン車が止まっているだけだった。つまり一般市民はフランクフルトで蔵相会議が行なわれていることすら気が付かないで、ショッピングを愉しんでいたのである。
そのことも付け加えておこうと思う。
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