weekly business SAPIO 2000/3/9号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO
□■□■□■□
クライン孝子 TAKAKO KLEIN
《女性も外国人も不在のまま議論が進むメディアの低レベルが日本的体質を助長する》
今日本に来ている。2日にフランクフルトを発って3日の午後、成田に到着し、ホテルにチェックインした。翌日、さっそく銀座に出て、デパートをはじめ商店を覗いてみることにした。前回(昨年の秋)帰国したころよりは、少し客足が出てきて、活気を取り戻したような気がする。平均株価も2万円代に回復し、心理的にやや余裕がでてきたということなのだろう。もっとも親しい知人の話だと、「こうした傾向は一時的な気休めで、日本の将来を考えると、ときどき悲観的になる」という。
かれこれ15年間、ある私立大学の講師を勤めてきた彼女、今年から辞めることになった。ここ2〜3年、急速に進んだ少子化で学生が集まらず、学校側が学部縮小を断行、彼女はそのリストラの対象になり、学校を去らねばならなくなったのだ。
その学校側の危機感たるや、尋常ではない。それだけに「こうした学校問題一つ取り上げて見ても、将来の日本を暗示しているようで暗い気持ちになる。ある日突然日本のシステム全体が、まるで雪崩を打つように崩壊してしまうような気がしてならない」ともいう。
こうした漠然とした不安感が、真剣に日本の将来を考えている日本人たちにとって、とくにここ2〜3年強くなっているような気がしてならない。ドイツから見ていると少しずつ変わりつつある日本だが、そのテンポは外国のそれとは違い、まるでかたつむりのように遅い。戦後半世紀にわたって知らず知らずのうちに培ってきた日本的体質は、一朝一夕には変えようがないのだろう。
とくにそうした風潮を助長しているものが(再三マスコミを槍玉に挙げて申し訳ないのだが)、テレビ番組の質の低さだろう。電力のムダ使いとしか思えないワイドショーのくだらなさもさることながら、日本の代表的報道番組でその筋で一目がおかれている『報道2001』や、『日曜討論』、『サンデープロジェクト』でさえ、マンネリ化して、斬新さに欠けている。
ではどこがそうなのか、まず最初に気づいたことから指摘すると、
1. 『報道2001』と『サンデープロジェクト』の補佐的な役割をする2人の女性キャスターを除いて、出演者は男性で占めている。
日本における女性の社会進出の立ち遅れは、すでに世界でも周知の事実である。しかしよりにもよって、時代の最先端をいっているはずのマスコミ自ら、女性政治家や評論家のテレビ出演をシャットアウトしている。このようなマスコミ界における女性の登板を阻む封建的体質について、今回ちょうど外国人特派員協会で知り合ったある欧米女性ジャーナリストの一人は次にように指摘してくれた。
「日本には掘り起こせば優秀な女性がいくらでもいるというのに、そうしないのは、男性たちが自分たちの既得権益を女性に奪われるのではないかと極度に恐れているからだ。無意識のうちに男性同士で互いに庇いあい、女性のマスコミ進出を阻んで
いる」という。
2. その出演者が全て日本人で固められ、外国人の登場を全く許していないこと。
その結果、視野が狭く、みなウチ向きで、それゆえダイナミックな話の展開を阻んでいる。
というわけで、社会変革の先鋒に立つべきマスコミ自ら、いつまでたっても男性中心の密室的閉鎖社会を変えず、こうした番組での女性や外国人の活躍を封じ、締め出しているのだ。これではいくら「やれ政治家の未来に対するビジョンに欠陥がある」、「官僚の癒着腐敗体質がそういう風潮に拍車を掛けている」と口角あわを飛ばして批判しているつもりでも、単に口先だけの空論に終わってしまうのではないか。
とりわけ気になったのは『サンデープロジェクト』である。
特に司会の仕方。欧米諸国のこうした番組の司会と比較して見ると、日本の代表的報道番組であるにも関わらず、未熟だという印象を受けた。なぜならこの人は司会者であるにも関わらず、司会者の身分をわきまえていない。越権行為とでもいう
べきか、なるべく出演者に語らせようとするのだが、この番組では逆に司会者が、自分の役目を省みず意見を言いすぎる。しかも出演者の話をじっくり聞こうとしないし、すぐに白か黒か結論を求め、相手の話を端折ってしまう。
確かにこういう類の司会者は一見歯切れが良く、視聴者の受けもいい。だが欧米はもとよりドイツの国では、こうしたでしゃばり司会者は、司会としての資格がないものと判断する。
しかも今回の司会は、後半のIT革命に関するテーマで、なぜ日本が情報革命で立ち遅れたか、その理由については指摘できるものの、では今後どうすれがいいかという点になると途端に曖昧な口調になり、結論を先送りにして問題の焦点をはぐら
かそうとする。
例えば、なぜ日本は今後、情報通信革命の場で、アメリカと大差をつけられることになるのか、なぜすでに新興国シンガポールや中国、インドにも遅れをとることになったのか。その辺の核心ともいうべき原因については、答えようとしない。
その最大の原因は何といっても、安全保障と、その安全保障のつっかい棒とでもいうべき(国による)諜報機関にある。確かに戦後の日本は経済においては、世界1、2のランクにつくことができたものの、この両面を軽視したがために、今では北朝鮮にさえ遅れをとり、翻弄され手玉に取られてしまうほど情けない国になって
しまった。
その北朝鮮は、1950年の朝鮮戦争以後、強力な軍隊、強靭な諜報機関を創設している。そして日本をターゲットに、北朝鮮を楽園と信じさせる誇大喧伝工作を展開し、多くの日本人妻を北朝鮮におびき寄せている。朝鮮総連の活動が許され、彼らが北朝鮮諜報機関の一役を担って日本国内での情報操作ならびにスパイ活動を行なってきた。
つい最近の「ドイツ情報機関」のレポートによると、北朝鮮は、イラン、イラク、シリア、レバノン、インド、パキスタンを抜くアジア最大の武器輸出国であり、テポドンなどミサイルの製造国であり、これらを輸出することで、大いに外貨を稼いでいる国だと報じている。
日本人はまさか北朝鮮が対日本にスパイ攻勢を掛け、産業スパイを行ない、これによって軍事産業を拡大しているなどと、夢にも思わなかったにちがいない。だがドイツでは既に周知の事実だったのだ。
これは『サンデープロジェクト』でも取り上げられ、つい最近日本で話題になり、驚きをもって報じられたアングロサクソン(米国と英国)による「エシュロン」という巨大盗聴綱についても、同じことがいえる。
欧米諸国とりわけドイツやフランスでは、その存在はとっくの昔に知られていた。理由はドイツもフランスも米英と同様、独自の国家諜報機関があり、すでにその事実を把握していたからである。ドイツにしてもフランスにしても米英に劣らず大なり小なり熾烈なスパイ合戦を展開していた。だが、これまでは共通の敵ソ連の存在があったために、西側諸国のよしみとして、こうした味方同士のスパイ合戦にはお互いに目をつむり、見て見ぬふりをしてきたのだ。ところが冷戦終焉後も一向にそのスパイ綱を解こうとしない米英に、ついにフランスが腹を据えかね、欧州議会という名によって、追及の手を伸ばし始めたということなのである。
こういう点では、戦後、国としての諜報機関を持たなかった日本は、あらゆる国のあらゆる点でスパイたちの天国だったことは間違いない。そのためにどれだけ戦後日本は国益を損ない、被害を蒙ったか。
だがこの番組では、知ってか知らずか、そのことには絶対に触れようとしない。
これでは、メデイア自ら、日本国を他国に売っていると指摘されてもしかたがないのではないだろうか。
--------------------------------------------------------------------------
発行 小学館
Copyright(C), 2000 Shogakukan.
All rights reserved.
weekly business SAPIO に掲載された記事を許可なく転載することを禁じます。
-------------------------------------------------
weekly business SAPIO --
戻る