weekly business SAPIO 2000/1/27号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO
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クライン孝子 TAKAKO KLEIN
《公金汚職に「厳しいドイツ」と「甘い日本」−−スキャンダルへの対処はこれだけ違う!》
いやはやこのところドイツは、まるで、手に汗を握るスリラー・ドラマを見ているようなムードにある。というのも昨年暮れ、コール前首相による一連の「ヤミ献金疑惑」がオモテ沙汰になってから、毎日のように「ヤミ献金疑惑」に関するショッキングな事件がドイツのマスコミを賑わせているからだ。私など、知り合いのドイツ人ジャーナリストに会うと、「日本の政治家の汚職はひどいと聞いていたけど、ドイツもこの面では日本に負けないねえ」といわれる。
とはいうものの、今回のドイツの政治家スキャンダルを見て感じることは、どこか日本とドイツとでは違うということである。ではいったい何がどう違うのか。
1. 日本はどちらかというと公金汚職については甘い。ところが女性とのスキャンダルに関しては厳しく、マスコミも大きく扱う。一方ドイツでは、逆に女性問題に関しては「政治家も人の子」と大目に見る傾向があるというのに、こと公金となると途端に厳しくなり容赦しない。今回もそうで、「ドイツ統一」と「ユーロ」の父であるコール前首相といえど、国民の見る目は厳しく、マスコミもまた過剰と思われるほど敏感な反応を示している。
2. 日本で、もしこのような事件が発生したとしても、国民もそうだが、マスコミまでもがぎりぎり核心に触れるとなると、どこかで許し、うやむやにしてしまう傾向がある。ところが、ドイツではいったんこうした事件が明るみに出て公になると、曖昧さは一切許さず、国民もマスコミも納得が行くまで徹底的に調べ上げ、事件の究明に当たる。
3. 一方、追及される側に立つ政治家だが、日本の政治家だとつい世間のムードに流されて、すぐにおろおろし謝罪という挙にでがちだが、ドイツの政治家はたとえ熾烈な追及に遭おうとも一切弁解せず、終始毅然とした態度を崩さない。それどころか、この「ヤミ献金疑惑」では、その張本人コール前首相は「連邦議会名誉党首」から外され辞任に追いやられても、頑なに「献金者リスト」の公表を拒み続けている。
ここで、今回のこの事件のいきさつを、念のために手短かに記述しておく。そもそもその発端は昨年11月5日、検察当局がキリスト教民主同盟(CDU)の会計責任者として20年以上にわたりその任務に当たったキープ氏に逮捕状をつきつけたことにある。理由は1991年にサウジアラビアに輸出した戦車の代金に関する脱税疑惑で、これに対しキープ氏は、「確かに1991年8月26日の武器取引で
、武器商人シュライバーから現金100万マルク入ったスーツケースをスイスで手渡された。しかし、この金は私服を肥やすために自分のポケットに入れたのではな
く、CDUへの献金として党側にそっくり渡した」と証言したことで、その日のうちに保釈金50万マルクを積み釈放されることになった。ところが、この発言がきっかけとなり、それまでひた隠しにされてきた事件が一挙に火を噴き、世間に知られるところとなってしまったのだ。
CDUは何とかしてこの事件を一刻も早くヤミからヤミへと葬りさろうと火消しに躍起になった。だが、いったんついた火は消しようがなく、ついにヘッセン州のCDUにも飛び火してしまった。長年ヘッセン州では総額700〜800万マルクの党資金を、脱税のオアシスとして知られているスイスとリヒテンシュタインへ持ち出し、ウラ口座を開設して運用していたのだが、今回この行為が発覚してしまっ
たのだ。そのため、その総責任者でコール政権では連邦内務相を務め上げ、その筋ではカミソリと恐れられていたカンター連邦議員が責任を取って議員辞任に追い込まれた。
というわけで、CDUは今や党創設以来最大の危機に見舞われている。
もっとも、実を言うとこの一連のヤミ献金疑惑については、かなり以前からドイツのジャーナリストの間、−−とくに社会民主党シンパのジャーナリストの間−−では密かに流布されていたのだ。中には、事実関係を把握していたジャーナリストも少なからずいた。それがなぜ当時でなく、今になって、こうした形で白昼さらされることになったのか。
その理由は以下の2点だ。
1. どうやら、ここでコールの息の根を止めねば、というジャーナリストの使命感みたいなものが働いたというのだ。なぜかというと、ふたたびコールが政権欲をちらつかせはじめからである。
コールが25年もの間、CDUの党首を務めた上、16年間という長期に渡って政権の座に就いていたのは周知の事実。その間にコールは「ベルリンの壁」崩壊後、世界の海千山千の政治家を向こうに回して、世界史に残る功績「ドイツ統一」と「ユーロ通貨統合」を達成している。その彼の党内における力は絶大で、いかなCDUの大物といえど、彼の右にでる者はおらず、党員の大半もコールの辣腕に恐れを為していた。中にはコールに反旗を翻す者や、ライバルとして敢然と弓を引く者もいたが、コールにそれと気ずかれ睨まれたら最後、例外なく失脚した。
そのコールに落ち目の兆しが見えはじめたのは98年の総選挙前後のことで、その後、総選挙で大敗を喫したコールは責任をとっていったん身を引いている。そこで自分の役目は終わったと静かに身を処していればよかったのだ。だがシュレーダー新政権の不人気からCDUの人気が再び高まり、とくに地方選挙におけるCDU
連続勝利が伝えられるにつれて、国民の間からはコール・カムバックの声がかかりはじめた。コールがすっかりその気になったのはいうまでもない。そのとたん、それまでひた隠しにされてきた「ヤミ献金疑惑」が突然火を噴きはじめたというわけだ。
2. こうした中で、ちょうどタイミングよく武器商人シュライバーによる脱税が発覚した。しかも、検察当局は家宅捜索で、偶然一冊のメモ・ノート押収に成功している。一見何のとりえもないメモ・ノートだったが、そのノートには実はCDUを含め大物政治家に渡ったヤミ献金のメモが詳細に書き込まれていた。早速この事実を嗅ぎ付けた特に与党(社会民主党系と緑の党)系ジャーナリストが、ここぞとばかりに、コールたたきと引き下ろしを開始したのである。
ところで、この「ヤミ献金疑惑」の仕掛け人である武器商人シュライバーだが、その後彼はどうしたか。
ドイツ当局の逮捕を逃れるため、さっさとカナダのトロントに逃げ込んでしまった。カナダ国籍を所持している彼は、そこで屈指のカナダ・ベテラン弁護士7人を雇い、彼らベテラン弁護士を通して、事件の時効が来年の7月に当たることから、それまであらゆるトリックを駆使してカナダ当局によるシュライバーのドイツ官憲引渡しを妨害し、カナダに居続けるという。
このしたたかさには、舌を巻く。
しかしそれにしても、こうした政治がらみのスキャンダル、同じスキャンダルでも日本とドイツとではその対処たるやいかに違うか。お国柄が窺えて面白い。
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