weekly business SAPIO 2000/1/13号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《「欧州」につづく「アジア」のブロック化で日本の「平和主義」が障壁となる》


 2000年という年が明けた。
 今年は西暦2000年という大世紀なうえに、25年ごとの罪の許しが与えられる聖年との節目とうまい具合に重なるというので、バチカンではまたとない最も意義ある重要な年と位置づけ、世界各地からの巡礼者や観光客の訪れに大きな期待を寄せている。
 一方、イスラエル領ベツレヘムでは、キリスト生誕地であることにあやかって、バチカンに負けず劣らず、巡礼者と観光客の呼びこみに全力を挙げている。一時中断していたイスラエル・パレスチナによる中東和平が、再び米国の仲介で好転しはじめたのも、一説にはこうした「巡礼者と観光客を充て込んでの観光収入」がお目当てだという。平和を売り物にしないことには、巡礼者や観光客の足も遠のいてしまうからだ。もっとも欧州人にすれば、観光収入が中東和平の糸口となるなら、これほど結構なことはないと思っている。

 改めて過去千年の欧州の歴史を振り返って見ると、この間の欧州とは、領地拡大を巡る戦争に次ぐ戦争で、スキあらば略奪に及ぶという、その繰り返しに明け暮れていたことが明らかになる。
 まずその1000年代を大雑把におさらいしてみると、最初のころは、欧州国内での覇権争い。やがて15世紀に入り大航海の時代を迎えて、そのホコ先は欧州以外の地に向けられ、植民地獲得競争時代に入っていく。その成功グループが英国やフランスだったことは周知の事実である。
 そうした中で19世紀半ばに急いで産業革命を達成した後進グループ、ドイツが台頭。1000年代の最後に当たる20世紀に入ってからは、先進グループと後進グループの間に熾烈な確執が生じ、その結果、2つの世界大戦にまで発展してしまう。
 その後の欧州の悲惨さはいうをまたない。とくに第2次世界大戦後の欧州は、その欧州の荒廃というスキを狙って、ソ連とアメリカというそれまで欧州が鼻にも引っ掛けたことのなかった新参者が台頭し、突然欧州を真っ二つに引き裂き、中・東欧に「鉄のカーテン」を布いてしまった。

 この屈辱をいち早く察知したのが「身から出た錆」とはいえ、国自ら、右と左に引き裂かれるという運命位にさらされたドイツだった。さっそくドイツはそれまで犬猿の仲だったフランスを取り込む形で欧州一体化に着手した。この事業は半世紀にわたる難事業だったものの、ようやく21世紀もあと1年というその世紀の変わり目を目前に、欧州通貨統合という大事業までも実現してしまった。
 その遠大な2千年という区切りを視野にいれた長期的なプランもさながら、そのタイミングの合わせ方のうまさには舌を巻く。
 これこそ千年というスパンで長年にわたって鍛え、培ってきたキリスト教圏欧州ならではのしたたかな生き残り策であり、智恵でなくて何であろう。

 さて次ぎに、その欧州一体化後の西暦3000年を視野にいれた世界展望だが、いったいどのように展開していくものだろうか。まずは21世紀像だが、当地で予測しているのは、

1. 12月10日、ヘルシンキEU首脳会談で2000年におけるトルコを含むEU加盟国拡大策を公表したように、EUの最終目的にはロシアをふくむ拡大策にある。その範疇は政治・経済・安全保障にまたがり、その一体化が進む中、20世紀後半には欧州にまで浸透しかねなかった米国の主導権が押し戻され、次第に米国中心主義から欧州中心主義に切り替えられていく。

2. 当然その流れを受けて、文化もまた地理的に欧州の中央に位置するベルリンへ、(第二次世界大戦後、その文化の中心はパリからニューヨークに移されてしまった)今度はニューヨークから移されはじめる。

3. 一方アジアでも、こうした欧州の変革、EUの一体化に触発され、アジア地域の政治・経済の一体化が進む。その成功・失敗の鍵はひとえに日本の外交手腕に掛かっている。

 今のところ、この20世紀後半半世紀、平和主義を貫き、アジア平和に貢献してきた日本への期待は大きい。ただ、平和主義を掲げているだけでは限界がある。今まで通りの金をばらまくだけの外交ではなく、主張すべきは主張する、政治外交の手腕を発揮して欲しい。もしここで日本がそのアジア地域での一体化に真剣に着手し、成功すれば(たとえ欧州より半世遅れでアジアの一体化が実現するとしても)、遅くとも21世紀前半には、南北アメリカ、EU、アジアの3大ブロック化=3極構造がお目見えすることになる。

 この3大ブロックが一体になって、西暦3000年を視野に入れ、まず21世紀に取り組まなければならない重要課題とは、

1. 科学偏重主義の修正と抑止。とくに20世紀後半の核兵器製造競争と核エネルギー施設乱発にブレーキを掛けること。東海村の臨界事故の例もありこの問題には真剣に取り組むことが必要である。

2. これは核実験や原発利用がかなり影響を及ぼしていると見ていいが、近年とくに増大傾向にある自然災害とその防止対策の取り組み。

 ちなみに過去千年における自然災害は、1042年8月21日発生したシリア地震で5万人の死者が出たのを手始めに、この1000年間に少なくとも地球上では10万件におよぶ自然災害が発生し、死者1500万人を出している。うち20世紀に入ってから出した死者は350万人で、その内訳は、強風と嵐70%、地震18%、洪水6%。これには旱魃や飢餓による死者は含まれていない。
 さらに1999年における自然災害状況だが、トルコ、台湾などの地震も含め、その被害は700件を上回り、被害総額は800億ドルに上っている。

 というわけで、恐らく2000年代は人類にとって決して明るい世紀でなく、むしろ多難な時代を迎えることになるにちがいない。なぜならば、ここ数千年に渡って人類が振り絞って来た知恵により、今や、まかり間違えれば人類滅亡という事態さえ招来しかねない時期にきてしまっているからである。

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