クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.9
ひ弱なアメリカとしぶといドイツ    

スポーツにはとんと関心がない。アメリカのソルトレークシテイで十七日間にわたって開催された冬季オリンピックも、最終日近くになって、あわてて、新聞のスポーツ欄に目を通してみるという始末。 「なのに、何に関心があってスポーツ欄に目を通したの?」と聞かれると、それが実に他愛ないのだ。「一体どの国がどのくらいメダルをとったのかなあ」だったからだ。

 それだって、スポーツフアンの人には大変、失礼な話で申し訳ないのだけれど、毎日見ているテレビ番組のニュースで、いやにドイツの選手がメダルを取っているらしく思われたものだから、「どれ、ドイツは一体どのくらいメダルを取ったのかしら」とその一覧表に目を通してみたくなったからだ。 それにここでも小声で遠慮しいしい、つい白状してしまうことになるのだが、わたしはなぜか、ここ数年、メダル獲得数にこだわっている一人なのである。なぜメダルの獲得にこだわるのかというと、メダル獲得数で、その国の世界におけるバロメーター、つまり国力の目安がかなりつくと、思い込んでいるフシがあるからだ。

 今回もその思い込みよろしく、新聞のスポーツ欄を覗いてみたところ、あら、まあ、ドイツがトップではないか!
 ちなみにドイツのメダルの獲得数は合計三五個、うち金メダルは十二個で、こちらもドップ。正真正銘世界第一位の地位にある。二位はは三十四個のメダルを獲得したアメリカ。ところが金メダル獲得では、ノルウエー十一個に追い越され、それより一個少ないアメリカは三位である。

 これを見て、「なるほどなあ」と私は複雑な感慨を持ってしまった。冬のスポーツに強い雪国ノルウエーはさておき、ドイツが大国アメリカを抜いて、トップに立つなんて、つい数年前は考えられなかったからだ。それだけに、何かしら、その背景というか、戦後の軌跡というか、運命的なものを感じずにはいられない。

 もちろん、賢いドイツ人のことだから、そんなアメリカへの思いはおくびにも出さない。けれどもアメリカを追い抜いてしまったドイツの反骨というか、そんなものがあのソルトレーク・オリンピックの結果に現わている。しかもこのメダル獲得に見られるドイツの反骨魂だけれど、どうもあの昨年九月十一日に起こった米同時多発テロと一枚岩になっているような気がしてならないのだ。

 あの二00一年九月十一日という日、アメリカのシンボルともいうべきニューヨークのツインタワーがあっけなく崩落した。それだけではない。不落と信じ込んできた国防省までも一部破壊されてしまった。

 そこで彼らアメリカ人は、イスラム教原理主義の過激テロリストの標的に遭ったといい、そのテロリストたちの捕縛に躍起になっている。だがそのアメリカの判断だけれど、果たして正しいのだろうか。むしろあの事件によって、少なくとも、第二次世界後、頑迷なまでに信じてきたアメリカ世界一の神話が崩れ、その脆さをさらけ出すことになってしまったのではなかろうか。

 今回のオリンピックがまさにその象徴だった。同時多発テロに対する見せしめという特殊な事情があったにしろ、テロ現場の廃墟で見つかった星条旗を開会式に持ち込んで見せるなど、どうみても陳腐で芸がなさすぎる。これだと、世間はアメリカの悪あがき、いや落ち目になったアメリカの空イバリとしか見ないからだ。 

 確かにアメリカという国は、これまで一度だって、他国から襲撃されたことがなかった。その国が、テロリストに攻撃されたのだ。そのショックの大きさには計り知れないものがあるにちがいない。
 そうはいっても、アメリカがあの攻撃くらいでショックを受けるなんて、何とだらしのないことかと私は思う。

 ドイツの第二次世界大戦後なんて、そんな生やさしいものではなかった。ほとんどの都市がじゅうたん爆弾で焼け野原になってしまった。罪のない市民だって、何百万人と命を落としている。しかも戦後は同じ民族だというのに東西に分断され「ベルリンの壁」で遮られもした。その上世界中から「ナチスのブタ」といわれ続け、罵詈雑言を浴びせられた。
 ために、この二十世紀後半半世紀のドイツは、その屈辱に耐え、ひたすら平身低頭し謝り続ける日々の繰り返しだった。そのドイツ人の根性というか、しぶとさというか。

 今回の冬季オリンピックは、はからずもそのドイツ人面魂の見せ場となった。
 戦後敗戦という厳しい状況の中で鍛えぬいてきたドイツ人と、あの戦争の勝者となってことで油断し、それゆえひ弱になってしまったアメリカと。

 さて、そこで、今度は日本だが、そのオリンピックの成績を見ると、順位は二十二位。銀メダル一個と銅メダル一個きりである。

 無理もない。日本の戦後なんて、そのひ弱なアメリカに飼いならされてきたにすぎないのだから。オリンピックの成績が振るわないのは当然である。
 

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