クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.58
   
 日本人はテロにもっと敏感に
-「特措法」の扱いは重大な試金石-

 (産経新聞  2007年10月12日「正論」より転載)
  
≪「GSG9」誕生の教訓≫

 私が初めてテロの恐怖を身をもって知ったのは渡独して4年目、1972年9月のミュンヘン・オリンピックでだった。

 突如、スポーツの祭典開催中に、パレスチナ・ゲリラ「黒い九月」がイスラエル選手団を襲撃し、選手とコーチの2人を殺害、残り9人を人質にしたが、のち銃撃戦の末全員を死亡させた陰惨な事件だった。

 私は強い衝撃を受け、以後、西独(当時)の各地で頻発したドイツ赤軍による残酷極まるテロの実態を追跡することになった。テロのシンパと接触したり、テロに関する書籍を手当たり次第入手しようと書店に足を運んだ。時には不審な目で見られて、警察に通報されそうになった苦い記憶もある。それも当時、一般市民も含め西独全体がテロに神経を尖(とが)らせていたからだった。

 西独政府はこの事件をきっかけに、対テロ特殊部隊「GSG9」創設に踏み切った。

 77年10月には、ドイツ赤軍と結託したアラブ系テロリストが乗客80人を乗せた航空機を乗っ取り、獄中にいたドイツ赤軍幹部の釈放を要求する事件が起きたが、「GSG9」が出動、夜陰に紛れ急襲し、みごと乗客乗員全員を無事救出した。

 当時西独は社民党政権下にあったが、シュミット首相の「テロには屈しない」という断固たる姿勢を国内外に示すかたちとなった。

 ≪「対岸の火事」の甘い認識≫

 こうしたテロに対する緊張した姿勢は30年後の現在も変わらない。

 先ごろ、ドイツ検察当局は同国内の米国関連施設を狙って爆弾テロを計画したとして、アルカーイダと関係のあるイスラム過激派3人を逮捕した。

 米中枢同時テロ事件から6年になるのに合わせ、ドイツで大規模なテロが計画されているとの情報をキャッチしたドイツ当局が、内務省を中心に緊密に連携し、警察関係者300人が半年間徹底捜査を続けて犯行直前に追いつめたのだった。

 グループは「イスラム聖戦同盟」と名乗る組織の構成員で、パキスタンで軍事訓練を受け半年前からドイツに潜伏。アジトからはロンドン同時テロ(05年)を上回る破壊力の爆発物が発見されており、危うく大惨事を引き起こすところだった。

 このテロ未然防止の背景には、ドイツ国民一人ひとりがテロを自分のこととしてとらえている緊張感がある。そうした一般市民の協力を抜きにテロへの十分な対策は考えられない。

 そう思うとき、日独の違いにほとんど茫然(ぼうぜん)とする。

 日本国民にとって、テロは今も「対岸の火事」でしかない。従ってテロに対する認識が万事甘すぎる。日本には在日米軍基地もあり、いつテロの標的になるか分からないというのに危機感が全く欠如しているのだ。

 ≪危険なアフガン民生支援≫

 国と国民の安全を考えるべき政党・国会議員にしても、テロ攻撃など他人事としか考えていないのではないか。ほかでもない11月1日で期限切れとなる「テロ対策特別措置法」の延長に反対している民主党および小沢一郎代表のことである。

 国連の直接的な決議によらないとして、インド洋やアラビア海で多国籍軍を支援するため海上自衛隊が行っている給油活動を停止しろという。筋の通った対案をなかなか出せない中で、アフガニスタン復興を目的とした同国内での医療協力や食糧支援、同国政府の警察組織改革などに参加する案を練っているともいわれる。

 しかし、これがいかに危険かつ短慮であるか、アフガンでのアルカーイダやタリバンなどテログループの活動を冷静な目でみればわかるではないか。

 アフガン復興では、重装備の連邦軍並びに警察官を3000人派遣しているドイツでさえ、既に二十数人の死者を出している。そうした地域に軍隊の支援もなく、民間人らが入ればどうなるか。

 韓国のキリスト教関係者らがタリバンのグループに拉致され、人質解放のために巨額の身代金まで支払ったといわれる事件は記憶に新しい。

 かつて日本赤軍が多数の乗客を乗せた日航機をハイジャックした「ダッカ事件」(1977年)では、当時の福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と述べ、「超法規的措置」で獄中のテロリストを多額の身代金とともに釈放した。

 現在のテロとの厳しい戦いの中で、こうした甘い姿勢はもう許されない。

 国際社会の一員として、テロへの毅然(きぜん)とした対決姿勢を保つことが、日本の国際的責務であることは疑いない。「テロ特措法」は日本にとってその試金石になると私は思っている。

to Back No.
バックナンバーへ