クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.57
   
 ドイツの裁判員制度との違い
-最大の魅力は名誉-

 (産経新聞  2007年6月27日「正論」より転載)
  
 ≪60年の歴史≫

 日本もいよいよ平成21年5月から一般市民が、職業裁判官とともに、裁判の審理に参加する裁判員制度を導入する。だが果たして、うまく機能するのかどうか。

 ドイツにもこの制度はあるものの、日本のそれとはあまりにも隔たりが大きいために、つい懐疑的になってしまう。ではドイツと日本で一体どこがどう違っているか。

 まず日本においては、裁判員の活躍の場が刑事裁判にのみ限定されているのに対して、ドイツでは刑事に加えて民事や労働、行政など多岐にわたっている。またこの制度は、第二次世界大戦直後に導入されて、すでに60年の歴史がある。

 これには二つ理由がある。

 一つには、ドイツにはナチス時代に人権を踏みにじった陰惨な暗黒裁判の記憶があり、その汚名を一刻も早く払拭(ふっしょく)したかったということだ。

 さらに、戦後ドイツは東西分断国家にあって、旧東独では「泣く子も黙る」と恐れられた「シュタージ」(=国家保安省)と直結した不当裁判が横行していた。

 旧西独はそれらの裁判と一線を画し、できるだけ多くの一般市民を直接裁判に参加させることで、透明かつ公平な裁判の構築に努め、邁進(まいしん)したからだ。

 ≪“退官”後は勲章≫

 ドイツでは、現在裁判官とともに、裁判の審理に参加する裁判員が、全国で約10万人いて、うち6万人余りが刑事事件にかかわっている。この数字が多いか少ないかはさておき、日本とドイツの裁判員について決定的な違いを指摘するとすれば、選出方法にある。

 日本では選挙権のある市民の中から、毎年裁判員候補者となる人を抽選で選び、裁判所ごとに候補者の名簿を作る。事件ごとに名簿の中からさらに抽選で、その事件の裁判員候補者を選ぶ。裁判員法によると、裁判員の選任手続きで正当な理由なく出頭拒否した場合、10万円以下の過料が科されるという。

 一方ドイツはどうか。すべて公募制で、裁判員を希望する人は、自ら興味のある裁判と裁判所を選択し書類を提出して申請する。

 もちろん、年齢制限やドイツ国籍、選挙権の有無など、一定の規定はある。それを満たした応募者にとって、最大の魅力は、裁判員が「名誉ある裁判官」としての処遇を受けることだ。“退官後”には、貢献度に従い、国、州、あるいは町村の首長から表彰され、勲章を授かることになっている。

 労働裁判の「名誉ある裁判官」を務め、現在2期目(任期は裁判によって異なり労働裁判の場合1期5年、ちなみに刑事裁判の任期は1期4年)に入った知人の場合、年に3、4回裁判に立ち会って、そのたびに実費として50ユーロ(約8300円)を受け取っている。「若いころから裁判には人一倍関心があり、会社で人事部長になったのを機に何か人のために役立ちたいと思って応募した。会社も積極的に奨励してくれる」と話していた。

 「名誉ある裁判官」には共通したイメージがある。信仰に篤(あつ)く、正義感が人一倍強い。世話好きなうえ人望があり、清廉潔白である。逆にいえば、裁判員になれば、世間からそうした高い評価を受けることにつながる。

 ≪普段から裁判慣れ≫

 最後に日独両国の裁判に対するメンタリティーというか姿勢の相違も指摘しておこう。

 そもそもドイツ人には事が起こると即訴訟に持ちこむ習性があり、常に裁判とは背中合わせの関係にある。わが家もそうだが、訴訟を起こしたり、起こされたときに備え、裁判費用一切を保険会社が負担してくれる「権利保護保険」に加入している。

 従って法律の知識にたけているし物事を論理的に組み立て議論するのが得意で、裁判慣れしているのだ。

 日本はどうか。早くも模擬裁判の段階で、参加した一部の裁判員役の人から「専門用語が難しい」とか「強制的ではた迷惑」などと逃げ腰のクレームがつき、当惑している市民も少なくないと聞く。

 日本の一般市民が裁判に参加し人を裁くということは、大変なことだ。念には念を入れた方がいい。制度導入にあたって、今一度原点に戻り、ドイツをはじめ、諸外国のケースを参考にして、検討し直したらどうだろうか。

 裁判員制度は、ともすれば閉鎖的になりがちな、従来の司法制度に風穴を開け新風を吹き込むことにつながる。この画期的な試みを導入するからには、ぜひとも一定の成果を挙げてほしい。そう願っているからだ。

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