クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.47
   
 外交安保は与野党の枠超えた議論を
−ドイツではなぜ大連立が可能か―


 (産経新聞  2005年10月3日「正論」より転載)
  

≪ドイツも小泉改革を支持≫

 与党あわせ衆院の三分の二以上の議席を抑え、悲願の郵政民営化法案成立に道筋をつけた小泉自民党圧勝のニュースは、ドイツでも大々的に報道された。多くは好意的で、十五年越しの不況にもかかわらず遅々として進まなかった構造改革に、いよいよ本格的に着手する姿勢が鮮明になったとして、小泉総理の決断を称賛している。

 理由はほかでもない。ドイツ自身も同様の状況にあるからだ。「ベルリンの壁」崩壊後、東欧諸国への生産拠点流出による産業空洞化、それにともなう企業倒産が続き、国内の失業者は今や戦後最悪の五百万人にも達している。一方で不法労働者は六百万人とも推定されている。

 社民党政府はその歪(ひず)みを正そうと、今年になって戦後タブー視されてきた過度の就労者保護政策にブレーキをかけ、手厚い社会福祉制度にも改革のメスをいれようとした。ところが、これが命取りになった。各地で労組を中心に「弱者切り捨て」との非難が高まり、結果、連邦参議院では与党の過半数割れで、議会活動がまひ状態に陥ったからである。シュレーダー首相が議会を解散し、日本と一週間遅れ(九月十八日投開票)の総選挙に踏み切らざるを得なかったのも、このような背景があったからだ。

 この選挙戦だが、スタート時点では、野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が、メルケル氏という初の女性首相候補を立てたこともあって有利だった。投票日の三日前、私が首都ベルリンで取材に当たったころも、メディアは依然として野党優勢を伝えていた。


≪すでに60年代に経験済み≫

 ところが「政界、一寸先は闇」とはよくいったものである。いざフタを開けると、二大政党はいずれも大幅に議席を減らし、与野党とも提携相手の少数党と連立を組んだところで、過半数を占めるには至らないことが判明した。

 とりわけ、続投に希望をつないでいたシュレーダー首相には痛手だった。致命的だったのは、社民党を飛び出した一部勢力が旧東独の共産党勢力と組んで立ち上げた新党「左派」に票を奪われ、わずか三議席差で、野党CDU・CSUに第一党の座を奪われたことだ。

 だが、それでもシュレーダー氏は「政権党首の座は譲らず」と宣言したものだから、ドイツの政治は混乱し、暗礁に乗り上げてしまった。

 こうした政情を見るに見かねた欧州連合(EU)と米国は、早急に事態収拾を図るよう勧告を行っている。その甲斐あってか、ようやく与野党二大政党による大連立へと動きが具体化し始めた。

 ちなみに、この二大政党による大連立は、西独時代の一九六六−六九年に、すでに経験ずみである。当時、西独はこの組み合わせで分断国家の東独と対峙(たいじ)し、「壁」構築直後の危機をクリアしてみせたのだった。あれから三十余年、ドイツは再び大連立による政権樹立で、経済危機に挑戦しようとしている。

 日本と同様にドイツでも、既得権益を失うまいとする国内の抵抗勢力との戦いが、当面の大きな政治課題となっている。それだけに、大連立にはそれなりの期待も寄せられているのだが、主義も主張も水と油に近い保革二大政党による大連立がなぜ可能なのか、日本人にはなかなか分かりにくいかもしれない。

 実は答えは明快だ。ドイツでは、国の存亡、根幹にかかわる安全保障整備についての基本的議論は、既に五〇年代から六〇年代にコンセンサスを得ており、どの政党もニュアンスの違いこそあれ、外交政策の基本は一枚岩であることを可能にしているからだ。


≪自民圧勝の民意とは何か≫

 社民党現政権は、反戦を旗印とする緑の党との連立にありながら、アフガニスタンでの治安維持活動に二千人余もの国防軍兵士を派遣している。今回も選挙後の混乱の最中、七百五十人の増派を決め、派兵期間も、さらに一年の延長を決定している。

 一方、日本はどうか。戦後六十年を経た今日なお、自民党議員の中にさえ「平和憲法の徹底擁護」といった時代錯誤とも思える議論がまかり通っている。北朝鮮の核問題や中国の軍拡など周辺環境が極めて不穏な状況にあって、安全保障問題の議論にはなぜかブレーキをかけてしまう。

 今回の与党圧勝は、そうした議論を再び前に進めてほしいという国民の総意であるともいえる。自民党は圧勝に奢(おご)ることなく野党とも建設的議論を積み重ね、日本にとって戦後の総決算ともいえる憲法改正を含め、二十一世紀のあるべき日本の姿、国づくりに真剣に取り組んでほしい。

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