クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.46
   
 靖国に向き合えずに何の国家観か
−戦没者への思い忘れた政治家達―


 (産経新聞  2005年7月10日「正論」より転載)
  
≪かみしめたい遺族の願い≫

 天皇・皇后両陛下は先ごろ第二次世界大戦の激戦地サイパン島を戦後初めて慰霊のため訪問された。その両陛下のお気持ちを察すると、次は一八六九年(明治二年)以降、日本のために命をささげた軍人、軍属やそれに準ずる文官・民間人・学徒など戦没者約二百五十万柱を祀(まつ)る靖国神社へ、と願うのは私の勝手な思いであろうか。

 ところで、今回の両陛下による慰霊の旅についての報道では、当時親族八人をこの島で亡くした戦没者遺族の一人、平良善一氏の「(戦後)六十年、私たちにとっては六十一年、ようやく戦争が終わった気がする」という述懐が心に残った。

 このシーンをテレビで見て、私はふとドイツでも遺族の一人が同趣旨の言葉を今から二十年前の一九八五年五月、吐露していたのを思いだした。

 当時のコール西独首相は、第二次大戦四十周年記念にあたって、レーガン米大統領を伴い、二度の大戦の戦没者約二千人が眠るビットブルク英霊兵士墓地を訪れ献花した。実は両首脳によるこの同墓地への訪問は、四十九人のナチ親衛隊も祀ってあるという理由で、ユダヤ人をはじめ一部の反戦者の猛烈な反対に遭い、警察や軍隊も出動するものものしいムードのなかで挙行されたものであった。

 それだけに、今もドイツ国民の間で、戦いに敗れたとはいえ、戦没者を手厚く遇したコール首相の勇気と決断は語り草になっている。

 今回私も、両陛下のサイパンご訪問の直前、この墓地を訪ねてみた。そこはかつて、二つの大戦の激戦地となった場所で、見渡す限りの平野が果てしなく広がる独仏国境近くの一角に、こんもりとした木々に囲まれて墓地はあった。こうしたドイツの戦没兵士を慰霊する墓地は国内外に一万カ所近く(うち国内七千九百六カ所)あり、約八万柱が祀られている。


≪戦い終われば敵味方なし≫

 異国のドイツ戦没兵士の墓地といえばこんなエピソードがある。紹介しておこう。

 昨年シラク仏大統領は、第二次大戦におけるノルマンディー上陸(Dデー)六十周年記念式典に敗戦国ドイツのシュレーダー首相を招待した。この時、同首相は、この地にあるドイツ兵士墓地を、戦勝国への配慮という理由で素通りしてしまったのである。

 早速ドイツでは野党の保守政党をはじめ各界から愛国心欠如を指摘する非難の声が上がったばかりか、かつての戦勝国からも怪訝(けげん)な目で見られる結果になった。欧米では戦いが終われば敵味方なく、国のため戦場に赴き自らの命をささげた戦士たちを国を超えて丁重に扱うからである。

 ところが極東アジアではどうだろう。今も日本は六十年前の戦争の禍根を引きずって近隣諸国、とりわけ中国の内政干渉を受け、一国の首相の戦没者慰霊さえ、ままにならない。
 日本国内でさえ、小泉総理の靖国参拝には、総理経験者の大物政治家をはじめ、まるで中国と口裏を合わせたかのように、参拝自粛を迫る声が後を絶たない。

 「止めるのも一つの立派な決断」と忠告に及んだ中曽根元総理に至っては、そもそも自らが中国の圧力に屈して参拝を中止し、この問題をこじらせた張本人である。「友人胡耀邦(当時中国共産党総書記)の立場を慮(おもんばか)った」との弁解も、今となれば責任逃れとしか聞こえない。


≪首相の参拝は国家の原点≫

 それにしても、同じ敗戦国とはいえ、この日独の違いは一体何に起因するのだろう。あえて一言でいうなら、日本人、とりわけ日本の政治家たちの度し難い国家観の欠如、国家概念の不在もしくは認識不足にあるように思うがどうか。

 野党はもとより、小泉内閣のサポートに回るべき与党のベテラン議員たちでさえも、国内政争に明け暮れ、与野党間の駆け引きや党内の主導権争いを、国外へ平気で持ち出す愚を繰り返している。

 その結果、外交巧者の中国などに手の内を見透かされ、外に向けても一枚岩になりきれずに、国益を損なう不用意な外交カードを切ってしまう。しかも彼らの多くが、いまだその重大さに気付いていないことが悲しい。

 政治家とて人の子である。何も国民は彼らに全知全能の存在であることを望んでいるのではないが、少なくとも、独立国家存立のイロハだけはしっかりと頭にたたき込み、国の衰亡に手を貸すようなぶざまな政治だけは行ってもらいたくない。

 小泉総理の靖国参拝は、その原点にあると私は確信している。

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