クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.45
   
 ドイツの郵政改革にみる国家意思
― 既得権益に汲々とし道筋誤るな ―

 (産経新聞  2005年5月29日「正論」より転載)
  
≪97年には早々と改革達成≫

二十一世紀の入り口において最優先重要課題とは構造改革の断行にある。
既に先進各国では真剣に取り組みがなされ、一部は成果を挙げている。
「郵政改革」もその一つである。

だが、なぜか日本では遅々として進まない。
理由はいうまでもなく、既得権益を失うまいとする特定郵便局や大幅なリストラを懸念する労組の存在や、
巨額の郵貯・簡保資金が不透明な国債購入や特殊法人の活動費に充てられことからくる特権を失うまい
とする官僚らに、阻まれ足踏み状態にあるからだ。

しかも、時代を先取りし日本の舵取りと、その位置付けに一役買うべき立場にある与野党国会議員にも、
改革を矮小化し、政争の具としか見ない人たちがいるのはどうしたことだろう。

ドイツでは、こと「郵政民営化」に関しては国ぐるみの大事業として政・官・財界が一体となり挑戦し、
今や国際レベルの企業として飛躍的な発展を遂げている。

ドイツの「郵政民営化」が始まったのは、かれこれ一五年も前一九八九年から九0年に掛けてのことで、
当時のコール首相の決断で、国家主導という旧来型郵政システムを解体し、
郵便、郵貯、電信電話の三事業を、それぞれドイツポスト、ポストバンク、ドイツテレコムに分割して民営
に踏み切った。
九四年には、基本法(憲法)にも手を加えるほどの意気込みで、九七年、郵政事業の完全自由化を
成し遂げている。


≪スパイ退治の意外な側面≫

当時、私などいきなり郵便業務がデパートの一角で行われるのを目撃し、なるほど郵政民営化とは
こういうことだったのかと妙に感心したものだ。
とはいえ、万事ことは順調に進んだわけではなく、一部修正を迫られる事態も発生している。
例えば、せっかく分割したものの、ドイツポストとポストバンクの間で郵便と郵便貯金の経営を巡って
なわばり争いが生じ、九九年ドイツポストはポストバンクを子会社化しなければならなかった。
また民営化で郵便局の統合が加速し、これに歯止めを掛けるため、急遽二00七年末まで最低枠の
郵便局維持を法律で義務づけている。
テレコムについては、一時業績不振で株価が低迷し、一般株主からごうごうたる非難を浴び窮地に
追い込まれたこともあった。

にも拘らず、ドイツ国民は大筋において「郵政民営化」をプラスと評価し歓迎している。
なぜか。一つには先述したように予想以上の業績好調にあり、今一つは、ドイツには日本と異なり、
「郵政民営化」に国民の理解を得やすい背景があったからだ。

実は、ドイツの「郵政民営化」には、“スパイ退治”という意外な狙い含まれていたのである。
あの悪名高い「ベルリンの壁」構築後、自由を求めて西に逃げる者が後を絶たず、
一方、西ドイツでは住民の三人一人がその「壁」ゆえに肉親と引き裂かれた人々であった。
彼らにとって郵便局は、東ドイツに残した肉親への外貨やモノ不足の補給や交信に欠かせない
存在だった。

ところが何と、東ドイツの郵便事業とは、旧秘密警察=シュタージイの巣窟であり、彼らは郵便局員と
結託し格好の西側からの情報収集機関として利用していたのだ。一方の西ドイツ側も、郵便局員には
労組員を含め東ドイツ体制シンパが多く、従って東西入り乱れて工作員の水面下活動も活発に行われ
ていた。

当然ながら、ドイツ再統一後の障害と判断したコール前首相は、時を移さず「郵政民営化」にあわせ、
こうした組織実態にも大なたを振るったのである。


≪国家的戦略として捉えよ≫

分断国家という戦後ドイツの残酷な運命とは無縁だった日本において、ドイツでの「郵政民営化」を直ちに
モデルとして位置ずけることには無理があるとの反論も聞こえてきそうだ。

だがこのようなドイツ特殊事情を差し引いても、日本における「郵政民営化」論議は、あまりに幼稚に
過ぎる気がしてならないのである。

郵政民営化は官業による民業の圧迫という国内産業構造の悪弊を断ち切るという狙いに止まらない。
インターネットの登場にみられるように、十八世紀の産業革命に匹敵する大転換期を迎え、日本も一段と
激しさを増すグローバル化な競争時代を生き抜くための国家としての大改革が求められている。

そうした中で、目先の狭い縄張り争いに汲々としている場合ではあるまい。郵政民営化を二十一世紀を
にらんだ国家的長期戦略の一貫として捉え、一刻も早く道筋をつけるべきときではなかろうか。

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