クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.43
   
情報戦にあまりに無防備な日本
― 白表紙本流出で思うスパイ天国ぶり ―

 (産経新聞  2005年4月2日「正論」より転載)
  
<<出入り自由の国交なき国>>

 「ベルリンの壁」崩壊直後だったから、かれこれ十五年前の話になる。そのころ、旧東ドイツ最後の北朝鮮大使だった人物にインタビューを申し込んだことがある。東ドイツという国家が消滅し、大使を解任された彼には一種の解放感があったらしい。気軽にOKしてくれた。ところが、最初に会う場所を「グリニッケ橋のちょうど真ん中、白線のあるところ」と指定したのには、苦笑してしまった。

 実はこの場所、東西ドイツの境界にある橋で、冷戦中は大物小物を問わず、頻繁にスパイ交換に利用されたいわく因縁つきの場所だったからだ。インタビューも盗聴の危険を避けるため、歩きながらという用心ぶり。事前に集めた彼のプロフィルには、ポツダム所在の俗称スパイ養成大学卒とあったから、その筋の人物とは気付いていたが、これほど徹底しているとは思いもしなかった。

 その彼の話がまた衝撃的だった。「日本と北朝鮮は表向き国交がないが、その実、水面下では多くの北朝鮮人が半ば公然と日本に出入りしている。主な目的は日本での情報収集と世論操作だ。何しろ日本は音に聞くスパイ天国だからね」というのである。

<<海外にも即時コピー流出>>

 この話とは、一見関係なさそうに見えて、実は私にはたいそう気になるのが、ここに来て再燃している新しい教科書問題である。

 日本では検定申請された教科書は、公正さを保持するため、どの会社の教科書かが分からないよう表紙を白くし、検定結果発表まで公表を関係者に禁じている。それなのになぜか、入手先を明らかにできないはずのこの白表紙本の一つ、扶桑社の中学歴史教科書(「新しい歴史教科書をつくる会」編)申請本の全文コピーが、いとも簡単に海外にまで流出したのである。

 韓国では、「アジアの平和と歴史教育連帯」(代表・徐仲錫成均館大教授)なる市民団体の連合組織に手回しよく渡っており、彼らは早速に内外のメディアを集めて記者会見を開き、「前回の検定時より歴史がさらに歪曲(わいきょく)された」と、ひたすら一方的な反日批判を展開してみせた。

 ちなみに前回の検定とは、扶桑社が初めて検定に参入した二〇〇一年のことで、当時は同社の白表紙本をいち早く入手した朝日新聞と毎日新聞が、ネガティブ報道を繰り返し、中韓両国による日本への執拗(しつよう)な内政干渉につながった経緯がある。こうした外圧を当て込んで一方的に自国の弱体化を図る行為は、欧米諸国ではケースによって反国家的破壊活動、スパイ活動と認識されることもある。

 ドイツもそうで、スパイを取り締まる「連邦憲法擁護法」(別名・スパイ防止法)により、その取締機関として憲法擁護庁と連邦情報庁が設置されている。国内において国の安全を脅かす自国民および外国人による危険な活動を監視したり、対外的な側面から、政治、経済、軍事、軍事技術分野の諸外国に関する情報を諜報(ちょうほう)手段を用いて収集し分析したりしている。こうすることで“目に見えない敵”による国家破壊工作から自国と国民を保護しているのだ。

 ところが不思議なことに、日本にはこれに相当する取締法も機関もない。スパイ行為は野放し状態で、内外、とりわけ近隣諸国のスパイにとっては格好の活動舞台となっている。

<<日本に住む北の国会議員>>

 朝鮮総聯中央本部議長を務める徐萬述氏や、在日本朝鮮民主女性同盟中央本部委員長で元愛知県本部委員長の金昭子氏など、在日朝鮮人組織の要職にある計六人が、何と国交のない北朝鮮の国会議員(最高人民会議代議員)として活動しているという事実をどう考えればいいのか。

 世界の常識とは到底相いれない異常な状態を放置し続けている日本は、諸外国から奇異の目で見られている。

 これなど、日本の情報=防諜(ぼうちょう)整備がいかに欠落しているかの典型的な例といっていいが、従来の歯がゆいばかりの優柔不断な対北弱腰外交も、突き詰めればその延長線上にある。それもこれも、外交上の対抗策としての有利かつ決定的なカードとなる情報が不足しているからだ。古今東西を問わず、諜報と防諜は表裏一体の関係として国家存亡のカギを握っている。

 「スパイ防止法」については、自民党が一九八六年六月に法案を作成、国会に緊急上程した経緯があるが、その後立ち消えになっている。とりあえずこの案をベースに再度立法化を急ぐ必要があろう。スパイ天国・日本の汚名返上は日本の安全保障上、不可欠であるだけでなく、同盟国に対しての責務でもある。(

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