クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.33
   
国際貢献立国につながるタブーの打破
-自衛隊の派遣機に情報機関設置を-

 (産経新聞  2004年3月1日「正論」より転載)
  

 ≪ドイツが誇る世界的存在感≫

 先遣隊に続いて本隊の第一陣が、軽装甲機動車や装輪装甲車を連ね、イラク・サマワ入りしたのは二月八日だった。さっそく、私の住むドイツでも「日本の自衛隊もいよいよ、第二次世界大戦敗戦後、本格的な国際貢献に乗り出した」と、日本の取り組みを歓迎する好意的なニュースをいっせいに報じていた。

 イラク戦争反対という立場を固持し、そのメッセージを世界に発信する一方、こうした日本びいき報道を行ったドイツメディアに戸惑う日本人も少なくあるまい。だが、ドイツ国民の真意を忖度(そんたく)すると、多分に「同病相憐(あわれ)む」心情がのぞいている。

 「ベルリンの壁」が崩壊したのは一九八九年のこと。ドイツはこの機に乗じ、崩壊後一年足らずで、見事に統一を達成してみせた。次のステップは一人でも多くの兵士を海外の紛争地に派遣し、ドイツの存在価値を世界にアピールすることだった。さっそく一九九三年には、国連の強い要請を受ける形で、一挙に千七百人もの大軍をソマリアへ送り込んでいる。

 このソマリア派遣では私も一週間、駐屯地でドイツ兵士たちと寝食をともにし、人道支援活動に携わった。第二次世界大戦におけるナチスの苦い教訓があるうえ、周辺諸国から「強いドイツの再来」と、疑心暗鬼の視線にさらされ神経をとがらせていた時期だったからだろうか、きめ細かい気配りの支援を目撃して脱帽した。結果、今や有数の国際貢献立国としてその名を世界にほしいままにしている。

 ≪「スパイ天国」という現実≫

 そういう意味では今回の日本のイラク自衛隊派遣は、多くの良心的ドイツ人にとって当時のドイツ事情とダブらせ、万感胸に迫るものがあったに違いない。だからこそ、今回、ドイツは直ちに日本による「日独仏三国共同イラク支援」呼びかけに快く応じたり、エジプトとのイラク医療支援でも積極的に手を貸すと約束した。

 日本を真の「国際貢献立国」とみなして、今後互いに強力な信頼関係を築いていこうというサインである。

 その一方で気がかりなことがある。こうした緊密な国家間の真の関係を築く上で、欠かすことのできない情報活動において、残念ながら、日本は欧米先進国に比べ「月とスッポン」ほどの違いがあり、これが障害になっているからだ。ドイツをはじめ、欧米先進国では情報活動は国家の根幹を成す生命線で、常に国家間の交渉や外交面で有効なカードとして重用してきた。

 ところが日本は、情報活動(諜報(ちょうほう)とその機密漏えい防止)がうまく機能していないのだ。とりわけ機密漏えい防止(防諜(ぼうちょう))において、その汚名は「カギの掛かっていない部屋」、つまりは「スパイ天国」として世界中に知れわたっているため、「せっかくいい信頼関係を築こうにも、筒抜けになってしまう」と警戒されている案配だ。

 ≪外交でも大きな不利益に≫


 理由はほかでもない。恐らく巧妙な占領政策によるのだろうが、戦後はかつて日本にも存在した情報機関(特務機関)が解体されたばかりか、国民の間に情報機関イコール軍国主義のシンボルとして誤ったイメージが植え付けられ、タブー視する風潮にあったからだ。もっとも、その日本に情報活動が全くなかったというのはウソになる。

 ただアメリカの中央情報局(CIA)や、ドイツの「連邦情報庁」のように一本化していないため、政・官・財の縄張り争いや周辺諸国の草刈り場になって、目をおおわんばかりの惨澹(さんたん)たる状況にあることだ。戦後半世紀を経た今も、一向に解決の見込みが立っていないロシアとの北方領土、北朝鮮との拉致事件、中国による靖国参拝に見られる執拗(しつよう)な内政干渉問題外交がそうで、原因はいずれも日本サイドの情報欠落にある。

 しかも9・11同時多発テロ事件以後、国境を越えたテロ戦争の脅威が日常化しており、情報不足は国の信頼を損なうばかりか、敵の標的としてもうってつけで、その損失は計り知れないものがある。とりわけ今回、日本はイラク自衛隊派遣において、他国の軍組織と直結し人道支援に携わっている関係で、ほんの些細な情報ミスでさえ国家をゆるがしかねず、その情報管理には細心の注意を払う必要がある。

 というわけで、日本も自衛隊のイラク派遣をきっかけに情報機関設置を検討する時期に入っている。優れた日本のハイテクを活用すれば世界有数の力を持つ情報機関の再起はそう難しくない。日本の国家的見地に立ってみれば、早急に取り組むべき問題ではなかろうか。

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