クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.29
   
強靭な実力派議員の登場に期待する。
―緊迫の時代状況見据えた選挙に―


 (産経新聞  2003年11月1日「正論」より転載)
  

< 議事堂建設にこもる願い >

 今から一世紀以上前の一八九四年に完成したドイツの帝国議会議事堂堂は、原型だけはとうにか止めたものの、第二次世界大戦中こっばみじんに破壊された。以後約半世紀にわたって東西ベルリン分断の運命とともに,「ベルリンの壁」近くに放置されてきた。この議事堂が復旧作業を終え、その名も連邦議会議事堂と改め,登場したのは一九九九年のことである。 
 中央のドームはナチスの暗黒時代を払拭するためガラス張りである。一般見学者=国民はそのドームのらせん状坂を徒歩で上り下りし、ドームの下で連日繰り返される連邦議会議員による激しい論戦光景を見下ろし、ガラス張り政治を要求する。 
 一方、,日本の国会議事堂の中央は尖がっている。一説には墓をモチーフにしたもので、、当時設計に当った技師・吉武東里は、一九〇九年満州(現中国東北部)ハルビン駅頭で暗殺された伊藤博文を念頭に、「国政にあずかる者は死をも覚悟して事に臨むべし」というメッセージをこの議事堂に託したのだという。
 真偽のほどはさておき、もしそうした願いを込めて着手した国会議事堂建築であったとすれば、近ごろの日本の国会運営は一体どう解釈すればいいのだろう。 徒らに、「党利党略」「私利私欲」、「迎合と馴れ合い」の政治が横行し、どう見ても正常な国会運営がなされていると思えない。
 結果、国民の政治不信を招いている。総選挙直前実施された埼玉参院補欠選挙における極めて低い投票率がまさにそのことを如実に示している。この傾向がエスカレートすれば、最終的に行き着く先とデモクラシー崩壊であり、代わってフアシズムの台頭を許すことは誰の目にも明らかなのにである。


< 依然もの言う3バン選挙 >

 しかしそれにしても、なぜこのような政治空洞を招来してしまったのだろうか。その最たる理由は戦後日本に民主政治が導入されながら、,ほんの一時期を除いてその基本ルールである政権交代が全く行われてこなかったことだ。そのため、政治自体が弛緩しきっている。
 今回も自由・民主合併劇で、新しくスタートした民主党は政権交代を狙い選挙に臨んでいると聞く。だが残念なことに、お世辞にも政治理念をベースにした合併といえず、政権を担うには疑問がある。とりわけ安全保障面で党内の足並みは揃っていない。国防と海外出兵による国際協調を不可欠事項として政権担当を可能にしてきたドイツ社民党政権と異なる。
 とするとこの問題をクリアできない民主党による,政権交代は当分不可能といわざるを得ない。これでは国会運営が空洞化して当たり前で、私は、いつからともなくはびこってしまった三つのガンがその元凶と考えている。
 一つは国会を世襲・親類縁者の巣にしていること。その割合三人に一人というから驚ろく。二つは数合わせに知名度頼みで、タレント議員の出現を許していること。三つ目は長老議員の跋扈である。もちろん中には優れた政治家もいるわけで、皆が皆、不適格というのではない。とはいえ、多くは政治家の資質や能力は二の次で、単に地盤・看板・カバン(資金力)が選挙の当落を左右しているのが現状だ。その彼らが日本政治に携わるというのだ、.政治低迷は火を見るよりも明らかである。



< ドイツにはない世襲政治 >

 とりわけ長老議員に至っては「過去の豊富な経験に照らし合わせ的確な国会運営に寄与する」という。そうだろうか。むしろ彼らこそ連綿と政治のイスにしがみつき、若い世代の出る幕を封じているのではなかろうか。ドイツでは考えられないことである。ちなみにドイツでは連邦議会議員六0三人中, 世襲議員・タレント議員は皆無。長老議員は最年長七三歳一人、六四歳以上十人しかいない。
 ようやくこの弊害に気付いたのか、今回小泉第二次内閣では思い切って閣僚の若返りを計った。党内においても例外なき七三歳定年制を断行した。まずは政治刷新の第一歩。歓迎すべきである。
 そう。今や日本は比類なき激動の時代に直面している。この緊迫した世界情勢に太刀打ちしていくには、真に強靭な実力派議員の登場が不可欠である。今回の総選挙はその分岐点に当る。」それだけに、有権者は自分が持つ一票を単なる一票だと諦めてしまわないでその一票に賭けることだ。一票こそが国を左右する。そう思えば、投票日には何をさしおいても投票所へ足を運びこれを思う人物に一票を投じる。間違っても棄権はすべきでない。 そう私は思う。、 

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