クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.23
   「安易な人権擁護は取り返しがつかぬ」−独からみた名古屋刑務所暴行死事件

 (産経新聞「正論」4月17日付より転載)
  
<事件は国家犯罪だ>
その昔、周囲の大人たちの忠告で、子ども心にしかと刻み付けたものに「人さらい」と「人殺し」がある。以後、私はこの人さらいと人殺しについて、かなり長い間「恐ろしいオジさん」の仕業と思い込んでいた。その思いを見事に覆した事件が北朝鮮拉致事件であり、名古屋刑務所暴行死事件だった。どちらも国家自ら犯した犯罪と知ったからである。それゆえ、この二つの事件は国家権力に直接携わる政治家および官僚による巧妙な隠蔽工作によって容易に解明されす、当事者を塗炭の苦しみに追いやったのも事実である。  
 もっとも両者においては、拉致事件が厄介な国際問題であり相手が「ならず者国家」北朝鮮でその動きを見極めながら対応しなければならないのと異なり、名古屋刑務所暴行事件は、純然たる国内問題である。従って国際的な配慮はいっさい不要。憲法第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】条項における「 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する」に照らし,この国法を遵守さえしていれば起こらずに済んだ事件である。しかも受刑者の権利として「情願(じようがん)」制度が設けられているから、不服があればこの制度を利用し直接法務大臣にその旨訴えることも出来た筈。情願とは刑務所長が封を開けずに直接法相に届ける直訴制度だからだ。

<機能しなかった情願制度>

ところが何とこの制度、これまで機能していなかったという。矯正局長が法相から権限委譲を受け局内で開封し処理するのが慣例になっていたからである。それどころか、ときには、現場の刑務官の知るところとなり、仕返しを受けるという陰湿な体質さえ生み出していた。今回図らずもこの法務省自ら犯してきた受刑者「人権軽視」体質が、刑務官による受刑者リンチもさることながら、暴行死事件にまで発展し、白日に晒されることとなった。
 もっとも日本のこうした塀の中体質だが、一面には従来の伝統に則った日本型温情主義社会復帰重視矯正という美点もあり、事件が発生したからといっていちがいに「悪」と決めつけかねる部分もある。その是非はともかく、だからといって今回のような事件は人権軽視と指摘されても弁解の余地はなく、法治国家としてあってはならない事件である。その点で日本はドイツを初め他の先進諸国に比べかなり遅れているような気がしてならない。少なくもとドイツにおいてはナチスの教訓もあり、服役者に対する人権は厳守され、すべてガラス張りで風通しもいい。なぜなら塀の中の密室化防止対策として、市民サイドによる第三者機関が整備され、刑務官・受刑者の処遇チェックを含め手厚いケア活動に余念がないからだ。服役者の環境もテレビ付個室でカギは本人所持。プールなど諸施設も完備し、年三週間の休暇では帰宅も許される。塀がなければ一般市民と同じ暮らしをしているのではないかと錯覚するほどだ。
 
<行き過ぎた人権>
もっとも一方ではこの行き過ぎた人権が被害者の人権軽視という由々しき問題を惹起していることも忘れてはならない。例えば昨年九月、二七歳の法学生が知人の十一歳男児を誘拐殺害し多額の身代金を恐喝した事件では、人権重視優先ゆえに、犯人は未決拘留所内における法科卒業第一次口答試験の機会を与えられ合格している。しかもその試験のために大学側から四人もの試験官が出向いた。ドイツは死刑禁止。最高刑は終身刑だが多くは最長一五年の服役で出所を許される。この殺人犯のばあい四二歳で出所し弁護士開業も(最もドイツ弁護士協会は拒否するだろうが)ありうるというわけだ。それだけではない、この犯人、生死を争う少年の行方について黙秘権を行使、思い余った係官が違法承知で拷問に掛け自白を強要したところ、後日、人権擁護団体とタイアップし警察側の落ち度を指弾している。これなど人権擁護が裏目に出た事例で、ドイツではこのような人権乱用はさほど珍らしくない。日常茶飯事化さえしている。
 確かに今回日本で発生した塀の中の人権軽視はこのまま放置していいものではない。たが、ドイツの例を見るまでもなく、行き過ぎた人権擁護が逆に一般市民の手足を縛ることもある。そうならないためにどうすべきか。塀の中の人権改善に当って,先ずこの辺の問題点をしかと念頭にいれ、きちんと整理した上で慎重に事に当るべきである。単に安易な情緒的人権擁護では、取り返しのつかない事態を招くことになりかねないからだ。


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