クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.22
   情緒的反戦論が見落とした「本当の戦争」

 (産経新聞2003年3月29日付 第4面より転載)  
米国のパウエル長官は24日、イラク戦争開戦後初めて公的な場に姿を見せ「これが本当の戦争だ」と述べ、 イラク戦遂行に当っては、それ相当の覚悟が必要であることを明言した。 米兵に犠牲者や捕虜が増えていることで、米社会に動揺が広がるのを抑えるための発言と受け取られている。

 パウエル長官の狙いどおり、厭戦気分の拡大が抑えられるかどうかは、もう少し推移を見なければならないが、発言のもうひとつの意味について考えてみた。つまり『本当の戦争』とは何か、何が戦争の真実か、ということである。
 フランスやドイツなどの反対をよそに、米英両国はイラク攻撃を決断した。緒戦も『快進撃』が一転して長期戦モードに切り替わるなど、日々報道される戦況だけでは戦争の本当のところはわからない。かろうじて推測出来るのは、世界が「イラク戦後」に向かって動き始めたことから、米英軍の勝利が揺るぎないものになてきた、ということだけだ。

 イラク戦争が、米英軍の勝利に終われば、国連を舞台とした米英と独仏の対立も形としては米側陣営の勝利に終わる。こうなると多くのマスコミでは「欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に修復不可能ともいうべき深い傷を残した」といった解説が幅を利かせそうだが、はっきりいってこれは早とちりであり、戦争の真実ではない。

 米英のイラク戦争は「9・11テロ」に端を発しているをいっても過言ではないが、テロを撲滅するということに関しては、米国もフランスもなく欧米諸国の姿勢は一貫している。フランスがイラク攻撃に反対し、激しく米国を非難したといっても、別にイラクを支持しているわけではない。ここを見間違えると、戦争の真実、本当のところは理解できなくなってしまう。

 今回の米欧世界の対立は所詮、フアミリー内の仲良しケンカであり、国連の派手な対立もテロ支援組織に対するカムフラージュに過ぎない、という見方すらある。といったら、にわかフランスフアンになった情緒的反戦運動家たちはどうこたえるだろうか。
 国連での対立が「できレース」かどうかはともかく、欧米諸国が大なり小なり水面下で固い握手を交わしていることは、紛れもない事実である。イラク攻撃反対の旗振り役となったドイツの例を見ればそれがわかる。

 ドイツは戦後一貫して米国とは付かず離れずの距離を保ちつつも密接な関係にある。あの米中央情報局(CIA)も、ナチス・ドイツの」参謀将校ラインハルト・ゲーレンが戦後に創設したゲーレン機関と密接な協力関係にあった。彼は終戦直前米軍に投降し、貴重な情報を米側に提供した。その中には膨大なソ連情報も含まれていた。
 東西分断時代の西ドイツは西側の一員として豊富な共産圏情報を提供し続け、結果として、ソ連崩壊の引き金を引いたと自負している。

 現在のドイツはイラクから難民や亡命者を引き受け、その数は相当な数に達しているはずだ。いずれもフセイン大統領の圧制下を逃れてきた人ばかりで、いまやその彼らが米国と密着しフセイン打倒の起爆剤となっている。

 一方、ドイツは軍事面での対米協力も惜しんでいない。現在米軍駐留兵士数は七万人あまり。他の欧州の国と比してその数は突出している。今回のイラク戦争でも、地中海に軍艦、クエートに大量破壊兵器探知機、ドルコに空中警戒管制機、それに兵員も派遣している。ドイツが米国にかみついている映像だけでは、行使た真実の姿はわからない。逆にいえばこうした机の下の握手があるからこそ、激しく対立できるのだろう。

 日本にドイツのまねをしろとは言わない。だが、日本で展開されるイラク攻撃反対論は、反戦デモにせよ、国会での論戦偽よ、「戦争の真実」を見ない情緒的な色合いあが濃すぎる。長い間平和」を享受してきた日本の幸セ、といってしまえばそれまでだが、こうしたボケ状態から一日も早く脱皮しないと、日本の将来はどうなるのかと、暗澹たる思いにとらわれてしまうのは私だけではあるまい。これが戦争なのだから。


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