クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol. 2
「学校で起こる事件―これでいいのか 日本の報道姿勢」
―ドイツの安全対策を踏まえて―     
 
 「六月八日大阪.池田市のある小学校で児童殺傷事件が起きた」というニュースは、当地ドイツでも大々的に報道された。その内容だが、おおかたは「日本ではこれまで学校とは公的な場所中、もっとも安全な場所と信じられてきた。それなのに、今回のこの事件で、その安全神話が崩れ、日本中の国民が衝撃を受けている」というものだった。

 ではドイツの学校安全対策はいったいどうなのか。学校もいつ危険な場所に変わるかもしれない、そう受けとめているせいか、小学校などは管理人が入り口近くのガラス張りの小部屋に陣取り、常に怪しい者が闖入しないようチェックしている。放課後は、校庭はもちろんのこと各教室もカギを掛けてしまう。特別に使用するばあいのみ、管理人の許可を得て校内に入ることができるが、使用時間は午後十時まで。それ以後は管理人の催促て追いたてられてしまう。ことほどさように、ドイツでは学校といえど安全対策には万全を期しているのだ。

それに比べて日本は・・・・・とは、今はいうまい。
それよりも、こうした事件で、いつも腹立たしく思うのは,日本のマスコミの報道姿勢である。今回もどこのテレビかしらないが、こどもにまでマイクをつきつけたし、病院にまで取材と称して追っかけ回している。

 週刊誌も似たり寄ったり。ある週刊誌では、「せめて子供の死を無駄にしないで」と、いかにも被害者に配慮した見出しをつけながら,その同じ誌面で、犠牲者の顔写真をこれみよがしに掲載している。一体これはどういう神経なのか。
 事件の当事者は悲しみに打ち沈んでいるばかりか、気も動転しているはず。その気持ちを踏みにじって、各社の報道過熱を正当化して、ペンを笠にきて書き捨てにするなんて言語同断である。 だいいちそんな無慈悲な,人の心の痛みが分からない人間にいい記事は書けるはずがない。

 ドイツではこうした事件が起きると、救援隊と関係者、ケアに携わる者以外、現場周辺には足を踏み込ませない。すべてシャットアウトしてしまう。報道陣も心得たもので、加害者・被害者には接近せず、したがって深追いしない。
 さすがに日本でも今回の事件では、この行きすぎた報道姿勢に批判の声をあげる市民も少なくなかったらしい。インターネットなどでは「報道のあり方」を問う投書をあちこちで見かけたからだ。

 そういえば、こうした報道被害を防止しようと、ようやく日本でも新聞やテレビ,雑誌によるプライバシー侵害などの報道被害救済の動きが始まったという。その一方で、そのマスコミ人間が、プライバシーを守る「個人情報保護法案」に反対し「国民の『知る権利』と『言論.出版の自由』がいま風前の灯です」と共同アピールしている。呆れたね。これ!
 その前に、まずメデイア自ら、報道の自由の名のもとでどれだけの市民が傷みつけられているか、被害に遭っているか、そのことに気ずいて反省してみる必要がある。それからでもこの法案阻止アピール、遅くない。そう思うのは私だけだろうか。


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