クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.14
有事法に「諜報」欠落の不可思議
  (産経新聞「正論」平成14年4月10日掲載より転載)  

「備えあれば憂いなし」。今回日本政府は有事法整備に着手した。恐らく昨年九月十一日発生した米同時多発テロや北朝鮮武装不審船事件を念頭において、日本も「武力攻撃以外の国及び国民の安全対策としての緊急事態の対応」を検討する必要に迫られたからに違いない。

 ドイツではこうした法整備ではすでに今から三十四年前、一九六八年「緊急事態」に関し「対外的緊急事態」と「対内的緊急事態」に分けて基本法=憲法に明記しその国家危機管理に心血を注いできており、それゆえこの分野で日本はドイツに大きく道を開けられてしまったようだ。戦後約半世紀にわたり東西に二分され、米ソ対立にあって冷戦の最前線で要塞的役割を果たさなけらばならなかったドイツと、「日米安全保障条約」のもと、米国の庇護下にあってぬくぬくとしてきた日本とでは、危機管理に対する姿勢は根本的に異なるので、安易に比較は許されない。とはいえことここに至って日本も遅まきながら、ようやくこの問題に真剣に取り組みはじめた。まずは歓迎したいところである。

 もっともその一方で、今回の有事法案では、「情報」、とりわけ諜報と防諜活動部分が見当たらず、どうもこれが気掛かりでならない。
 なぜかというと、有事・平時を問わず、危機管理とは情報管理と表裏一体の関係にあり、情報活動なくして危機管理では「ざるに水を流す」に等しいからだ。 ドイツでいう「連邦情報庁」によるスパイ活動で、日本にはこのような国家機関が整備されておらず、従って、この分野において日本は他国に比べ少なくとも半世紀立ち遅れているといわれてきた。確かに日本にも政府機関として内閣情報調査室などいくつかの情報機関がなくはない。防衛庁防衛局に至っては現在日本のCIAといわれているという話も聞いている。だがこれら情報機関は、海外の情報機関のように一本化されておらずてんでんばらばらで、お互いに縄張り争いに終始している始末。とりわけ外国に比べて見劣りするのは防諜活動である。防諜活動とは「反国家的勢力の違法な諜報活動を監視し阻止し国家秘密情報の国外流出を防ぐ」ことで、主な任務は他国からのスパイの侵入を防ぎ、彼らの日本国内における諜報活動を阻止し違法な活動が行われていないかどうかチェックする機関である。だが、日本ではこの活動が殆ど機能しておらす野放し状態になっている。もちろん公務員には服務規律として「守秘義務規定」がある。だがその対象は一般職のみである。

 そこへいくとドイツは違う。例の冷戦が情報戦争と位置ずけられていただけに、スパイ活動は想像に絶する熾烈なものだった。七十年代ブラント首相が辞任に追い込まれたのは、秘書ギョームが実は東独から送られてきた辣腕スパイだったと判明したからだ。ギョームは妻とともに、五十年代難民になりすまし西独に入国、一社民党員をふりだしに最後はブラント首相の秘書に抜擢された。というわけで、ドイツではこの事件に限らずこの種のスパイ事件ははいて捨てるほどある。そのため防諜監視対象は政治家、高官はもとより、在独外国人の宗教組織などの一部、右翼左翼の過激派分子、マスコミ関係の著名なジャーナリスト、キャリア公務員、学術研究者、学者など多岐にわたり、スパイによる彼らへの接近を遮断する役目も負っている。中でも特に目を光らせるのは彼らにまつわる「カネと女」で、秘書も狙われ易く当然その対象となる。

 振りかえって日本はどうか。こうしたチェック機関がないためにスパイにとってまさに「スパイ天国」である。 戦後の歴代外交官がこれといった極め付きの切り札が出せずに国益を損ねてきたミス外交がいかに多かったことか。外務省の役人ならとくとご存知のはずである。そればかりか一連の北朝鮮外交に見られるように、この盲点を見事に突かれまるで北朝鮮の広告塔のような国会議員まで登場し、国賊的発言を許してきた。 理由はいうまでもない。国家組織としての情報機関欠落にある。

 というわけで、今回有事法整備に当たってはこの情報活動面もぜひ議論の対象にしてほしい。、願わくばこの際、思い切って防衛庁を「省」に昇格し、速やかに「情報省」設置に踏み切るべきと私は思うのだが。 

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